見出し画像

twitter疲れ?

ここ最近、twitterから離れ気味。
見ておきたい人だけホームに行ってザッと目を通すくらい。

タイムラインに流れてきた呟きが気になった時、ツリーは勿論のこと、コメント欄や引用ツイートまでをも読み耽ってしまうタチなのが、いけないんだよね…そして時間が溶けゆく。

Instagramも、見始めるとドンドン流れてくるのでキリがなく、だいぶ前からほぼ見なくなった。
twitterとは違う意味で時間が溶ける…。

twitterの場合、政治などに関する事が流れてくると特に時間が溶けるし、疲れる。
気になると付随してるものを次々に読み込んでいってしまうので、目も脳も疲弊する。
でも、読み込んでいって色々な人の様々な意見を見ないと、自分なりの見解(理解)は出せない。

よく、ツリーを読んでいかずに最初の文面だけで反応してる人がいるが、ツリー読んだら判るじゃないの…という事が多い。
何なんだろうね、アレって。

で、twitter疲れかなぁと思ったのと同時に、自分の思ってる事や自分なりの考えなどを書き連ねるならblog形式がいいのかな…と気が付き、ここに書き始めた。
ついでに、iPhoneに新しく入ったフリーボードなるアプリにて、指先でサラサラと絵を描いてみたり…子供の頃描きたくったチラシ裏の落書きみたいだけど。

思い付いた事をつらつらと文字に起こしてるので、文体も決まっていなければ、また誰かに向かって訴求してる訳でも無いので、雑文たる雑文の雑記帳なのだ…。

随筆(エッセイ物)が好きでよく読んでいたが、楠田枝里子氏の文面は軽妙洒脱で、読んでいて心地好いものだった。
彼女の頭の回転のよさや司会業で見せていた切り返しの上手さなどが、文章を綴る上でも存分に発揮されていると思う。

彼女のように軽やかな文章が書けたらいいなぁ…とは思うけど、自分には無い才なので、背伸びはせずに思いのまま書き綴るのみ。

ここ数年、世の中が殺伐としてきてて(政治の腐敗・失策が要因として大きいよな…)、世情不安がそうさせるのか解らぬけれど、過激な事件が増えたように感じる。
通り魔的事件や強盗事件の数々…盗みは勿論だが、他者を傷付けるなんて以ての外なのに。

そして、twitterも殺伐としがちなので、疲れる場になっていく。
自分可愛い♡だけの(クソ)首相の顔が流れてくると、主権者(の筈)の一国民としては、この国の行方と若者や子供達の未来が心配で、暗澹たる思いになるのだ…。

所帯を持った30年前、世の中はまだまだ明るく希望が持てそうな気配だった。
いつからこんな暗雲立ち込める世の中になったのか…昨今の物価高も消費税が有る所為で、より高く財布の中身を減らしていくし。

自民が“維持せよ世界一の長寿国!”と長生き政策を掲げて自ら財政難を招いた為に、今国民間に分断を引き起こさせてるのも、世を暗澹たらしめてる要因の1つよなぁ…。

さて、国の(自主的)崩壊が先か、我が人生が終わるのが先か…。
ふと、昔の人生50年くらいの時代がよかったんじゃないだろうか?などと思う54歳4ヶ月の今日この頃。

うーん、だいぶとっ散らかった文面になっちゃったわね…ま、いっか☆
ではでは。