2020年12月19日(土)
朝の六時半に自宅を出た。道中にあるよく行くラーメン屋の剽軽な店長が、店に入っていく様子を見た。真剣な面持ちをしていそうな背中だった。三鷹から総武線に乗りっ放しで千葉に行き、さらにそこから外房線に乗りっ放しで鴨川まで行くという日帰りの一人旅が敢行されることになった。一応は書くために見に行くという体になっていて、同居人には写真をたくさん撮ってこれるといいね、と言われていた、写真ではなく気分を味わいに行くのだということを説明するのは難しそうだったのであきらめた。電車に乗って東進するうちに徐々に明るくなっていく窓外の空に、通勤ではない光の感じを感じ取れた。荒川を渡ってもすぐに千葉になるわけではないことを知った。総武線にいるあいだは、風景の質に大きな変化はなかった。数軒のニトリがあって、その家具を収めている家々の屋根が、東京のそれと変わらないくらいの密度で並んでいた。千葉駅は栄えていた。外房線に乗り換えた。思ったよりも乗車率が高かった。進んだ先で海側にならないボックス席に座ってしまったことに途中で気づいて、内心焦っていた。しかしそちらのほうに到達するまでには人間は少なくなっていて移動も容易かったので、事なきを得た。乗っている電車が緊急停止をした。外房線も緊急停止するのが意外だった。五分の遅れを道中に無理に縮めることはできずに、停車するたびに車掌は謝罪の言葉を口にしていた。口だけだった。次第に土地が広大になってきた。家々や店舗や田畑の面積が、東京のそれとスケールがちがっていた。しかし何個か目にした教習所だけは、広さも構成も変わらなかった。徐々に海に近づいて、海が見えた。海が見えてからしばらくすると、鴨川に到着した。海の気配がした気もするけれども、それは海が近いと知っていたからそう思っただけかもしれなかった。回転する寿司を食べ、鴨川シーワールドに向かって海岸沿いを北上した。釣り人が、京都の鴨川のカップルのように等間隔を保っていた。スニーカーに侵入した砂浜の砂は、三鷹までついてくることになった。水族館は繁盛していた。これだけ手の込んだ生態系を日本のみならず世界中で作り上げている人間の根性は見上げたものだと素直に思った。クラゲは永遠に見ていられそうだった。しばらくして帰路についた、猫がいた。帰りは高速バスに乗った。アクアラインだった。海底トンネルといっても走っているあいだは普通のトンネルであるからして、文字で見るときほどの高揚を得られるわけではなかった。家族で鴨川に行ったときは、すでにアクアラインは開通していたのだったか? レイソルは逆転負けを喫していた。
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