2021年7月23日(金)

今日から旅行だった。空港に滞在することは、そこにいる人たちから発される明らかに浮ついている空気に同調することが促される。同じ国内旅行でも、空港に行って飛行機に乗るという時間を経ているそれとそうでないそれのあいだには、旅先で過ごす時間の感触が違う気がする。その質の違いは到着した直後に限った話ではなくて、たとえば二泊三日ならその三日目まで、持続する。建物それ自体の大きさや、ガラス張りの窓から見える滑走路のひらけた感じや、搭乗するために必要な煩雑な手続きが、その質の変化をもたらしているのだろうか? 搭乗してしばらくすると飛行機は離陸した。行き道は席がばらばらだった。航空機に取り付けられた、前方と下方を映し続けているカメラの映像を見ることができたのでそれを見ていた。船が作り出す海面の波は、油絵の皺を思わせた。一時間半もすれば鹿児島に着いた。着陸前の、とはいえまだそれなりの高度にいるときに見下ろす山並みを覆っている木々は、思った以上に一本一本を判別することができた。鹿児島空港に着き、レンタカーを受け取った。景色のうちのどこそこが、という具体的なものではなく全体の印象として、広々としていた。ふとした瞬間に桜島が見え、それはこの旅行中、どこにいてもそうだった。そのたび私は、桜島が見える、と思った。スターバックスに行き、壺畑を見てご飯を食べて宿に向かった。山道を走るとそれがあった。手付かずの自然というのを味わえるように手を尽くされている宿だった。部屋からも桜島が見えた。露天風呂は山の中にあった。そこに全裸で佇んでいると、自然と一体化するという気分を味わえるような気がした。各々で風呂を済ませて、休憩所で合流した。こうした質の時間を二人で過ごせていることが、ひたすらに嬉しかった。


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