2020年7月29日(水)

それなりに綺麗目の洋服を突如として用意する必要が出てきて、新宿を彷徨った。その手のシーンで着用すべき洋服がどういうものかを調べられるとおぼしき単語の組合せで検索をした。正解なんて誰も知らないということが、脅迫的なまでに購入へのリンクへと促そうとする記事を眺めていてわかった。財布の紐を緩めることを許してしまえる外部要因が生じたことをいいことに、大変なことになった。店員と対峙するときのコミュニケーション能力が、正確に言えば、なけなしのコミュニケーション能力をそれでも発揮しなければならないと考えて出力する気力が、年々萎んでいる。端的に言えば、服屋の店員という人種を舐めてあしらっている。本屋で立ち読みをしているときに、店員がさっと近づいてきて、どのような本をお探しですか? あなたにはお似合いですよ! と言ってくるというそんなことはされたこともないししたこともないしされたくもない行為と、洋服を眺めて少しでも触れると接近して試着を促す行為は、大差ないと思うのだが。

夜、バチェラーについての思うことを延々ときかされる。話術がそれなりにあるのできくに耐えないということは全然なかった、けれどもそれをきいているあいだ、何かを悪し様にこき下ろすことで日々の精神の平穏を保っている、そうせざるを得ないという人間が、この世にはごまんといる、ということが頭をよぎっていた。自分の身体や思考の介入をあらゆる作業から極力省くべくアウトソーシングをする、というのが普通に行われているような便利な世の中になりすぎて創出された余暇の時間は膨大で、寿命まで延びてしまった人間がやり過ごすことができる量を越えてしまっているのではないか。

#日記

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