2021年7月25日(日)

朝起きて風呂に行った。宿のある場所から風呂のある場所までは、ゴンドラで山の斜面を下るのだが、これが最後だと思うと悲しかった。三日間で六往復した。ゴンドラの内部にはずっと天道虫がいたが、同じ個体かどうかはわからなかった。風呂から上がって朝飯を食べ、支度をしてチェックアウトをした。霧島神宮に行き、温泉市場に行って滝を見た。アートの森に行った。編集とは何ぞや、という展示がやっていた。編集という営為全体の総括ではなく、もちろん全体を総括することなんてできないだろうが自分の仕事を相対化する視点を微塵も感じさせることはなく、単なる企画者個人の履歴書の披瀝のような展示になっていてこれは如何なものか? ということに、連れ合いは怒っていた。野外展示は広大な森に様々なオブジェが散逸していた。順路というものはなかった。それから道中の温泉に立ち寄って空港に向かった。空港でとんかつを食べた。諸々の手続きを経て、飛行機に搭乗した。帰りは並び席が取れた。離陸してしばらくすると着陸した。その間私たちは、機上でオリンピックのサッカーを見るために苦闘しながら、眠ることなしにずっと話していた。やがて着陸し、電車に乗った。京急から山手線、そして中央線という順序で乗り継いだ。電車の乗り慣れている度合い、車窓の風景の見慣れた感じが、みるみるうちに高まっていった。そして三鷹に着いた。何かが終わってしまうというはっきりとした自覚は、辛うじてまだやってこなかった。スーツケースを持っていることや、帰りはタクシーを使ったことや、この時間に二人で三鷹駅にいることはおそらく初めてであることが、その日常への帰還の遅延に、ひと役買っているのかもしれなかった。また二人で旅行に行きたいと強く思って、それを言葉にお互いにした。とはいえそれは、二人で過ごす時間において圧倒的なシェアを持つ東京における日常というものは非日常の魅力を際立たせるために過ごす平凡でつまらないものであり、次の非日常がやってくるまで何とかやり過ごすべきものである、みたいな考え方を持つということではもちろんなかった。日常を楽しくしようという強迫的な気持ちも持つことなしに、普通に過ごしてそれで楽しい。そうしたいと強く思うし、私たちならできると思う。

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