2021年2月14日(日)

チェルフィッチュの【消しゴム山】を池袋の劇場で見た。正確には東池袋駅だった。池袋駅と東池袋駅の位置関係を、はじめてきちんと理解した。北に進んでいると思っていた道がじつは東に進んでいることがわかった。人間と物質を等価にしようという試みが、演劇では為されていた。第一部においては、洗濯機が壊れるという些細な、けれども実際に起こってしまえばそれなりに面倒な出来事を、洗濯機を人間の側に引き上げようとする(という表現がすでに人間的尺度に基づいているけれども)ような仕方で等価にしようという喜劇を、一目見ればそれとわかる岡田節の台詞で描いていた。連休という圧倒的な「人間的尺度」も効果的に使われていた。物質がそこにあるだけで異様な存在感を放っていた。面白かった。第二部は私には、正直その意図を理解しきることができなかった。第三部については、人間の身体を物質の側に持っていく試みだったと思った。「人間的尺度を疑う」というある種のテーゼの実現という意味では、最もそれに合致していた。けれどもそれが面白いか、そこまで深堀りせずとも見ることを快いと思えるか、というと、そういうわけではなかった。けれどもそれも恐らくは意図されたことだろう。全体として、荒川修作を思い出した。

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