5月12日

同じ歳の友達と話す機会が増えた。
いや、違うか。同じ歳の、しばらく話していなかった友達と話すことが増えた。
同じ歳の、当然と、大学へ進んだ友達たちと話す機会が増えた。
受験が終わったから、遊んだり、電話をしていいっていう、雰囲気。
直接会うことは時世の関係でできないけれど、代わりによく電話をするようになった。SNSを使った、グループ通話。
大学生の彼らには課題があって、授業がある。
私はそろそろ二月ほど、ニート同然に過ごしている。バイト先の仕事が激減したから、っていうのと、家族に自粛してバイトに行くなと言われたから、休みをもらっている。
最近考えるのは、結婚のことだったり、将来に対するはっきりとしない不安についてだったり、漠然とした自分のことだったり。
自己嫌悪すら最近はできなくなってしまった。
なんだかもう、望まない、情けない自分のことを、ぼんやりと認識してしまうようになった。なんでもできるような気がしたし、こうじゃない自分になれる可能性に胸を躍らせたりしたし、それはきっと今もあるのだけれど、なんだか、そうじゃないなって思うようになった。
私がいくらぼんやりと自分を貶そうが、ぼやりとなりたい自分になろうとしようが、変わらないのだと思う。三年以上こういうふうに生きていればいい加減、私はこれじゃ変われないことがわかってくる。本当は一年以上前から気付いていた気もするけれど。

それに加えてぼくの不安はほかにもある。
なんだか、人の優しさがよくわからなくなってしまった。
どうして人が人に優しくするのかが理解できなくなってしまった。
優しい人がたくさんいることを知った、というかむしろ、優しくない人間の方が少ないことを知った。
頭が悪いっていうことを知った。ぼくは今のことしか考えられず、いまこうだったら未来のぼくはこうなっている、だからこういう行動をしないといけない、っていう考えが、理解できない、というか、苦手なんだと、最近認識した。
こうなりたい、だとか、こうしないといけない、が、ぼぅやりふやけて溶けて思考にたゆたう理由はこれのせいなのだろうな、と思う。行動に移せない理由も。
なんとなくわかりはする。
たとえば、夏休みの宿題。
毎日少しずつ手をつけなければ、最終日には終わらなくなってしまうだろう。
いよいよ今日手をつけ始めなければ、間に合わないだろう。
わかるよ。でもなんだろ、ギャっと焦る気持ちが、じう、って、落ち着いてしまうことがある。眠たくなる。眠れば時間はすぎる。
原因はなんとなく、インターネットのせいなんじゃないかなって思う。時間潰しができる道具。全能感っていうものを感じるとかではないけれど、携帯を開いて寝転がって、インターネットを使って小説を読んだり、SNSを眺めていると、もう間に合わないところまで時間を潰せてしまう。
昔から、嫌なことがあっても本を読めば気持ちを落ち着かせることができたのだけれど、それとおんなじような原理なのかなぁ。

ぼんやりとしているのに、生命活動に支障がないし、親のおかげや、ちんまりとやるバイトのおかげで、娯楽にさえ浸れてしまう。

あとぼくは見栄っ張りだし、失敗をいつまでも引きずる方だ。
怒られることが恐ろしい。

そういえば、ぼくが不登校になった原因は夏休みの宿題ができていないことを怒られるのが嫌だ、それをきっかけにできない奴扱いされるのが嫌だっていうものだったのだけれど、今改めて考えると、自分が思っている以上にぼくはぼくの根性のなさを隠せていなかっただろうし、宿題の件があろうがなかろうが、絶対誤魔化しきれなかったと思う。

ぼくのは、避けたゆえの失敗だから、いつまで経っても、まとわりついて、

中学生の時の話がある。
部活の話だ。
ぼくの代は少ししかいなくて、ぼくは必然的にレギュラーになれた。レギュラーの中でもやっぱり、ポジションの重要さというか、どこも大切なことはわかるのだけれど、ここを任されたらすごいぞ、みたいなものはあった。
ぼくは最初、そのポジションをやってた。
けど、そうだった、夏休みの宿題、ぼくは、部活で決められた提出期限に、間に合わせることができなかった。むしろみんなの中で一番、後輩も合わせて、進んでいなかった。情けなかったし、恥ずかしかった。けど、その感覚はもう覚えていない。ぼくが覚えているのは、期限の後、さらに伸ばしてもらえた期限にすら、間に合わせることができなかったことだ。
顧問はいいひと、というか、ぼくのことをちゃんと考えてくれる人で、宿題が終わらせられないぼくに、説教をしてくれて、ぼくは、怒りからじゃなく、ぼくのことを考えて言ってくれていることがわかるその説教が嬉しくて、ボロボロ泣いた。説教が終わった後、トイレでも、1時間近く泣いた。

明日までに終わらせてこいよ。

って。ぼくは、泣いて、

嬉しくて、がんばろうって、思って、家に帰って、向き合って、進めて、眠って、……眠って、終わらなかった、

自分が信じられなくなるって、感覚はきっと、このとき、初めて知ったのかもしれない。理想通りじゃない自分に嫌悪感を抱くことはあれど、自分が信じられなくなるなんて、たぶんこのときまで、少ししか感じたことがなかったと思う。あの時のあの、ストン、とした、無力感、悲しみだったのだろうか、なんだか、あ。そうなんだな。っておもった。先生を裏切ってしまったことだけが、とてつもなく申し訳なかった。先生の説教が嬉しかったのは本当なんです、胸に響いて、あんなに満たされた嬉しさは、嬉しくて泣くことは、あれ以降も、以前もありません。なのに、どうして、やれなかったんだろうな。理由なんて考えても。わかってることだった、ぼくはこの時からずっと、きっと、自分の欲に勝てていない。泣きたい。
出来上がっていない、徹夜して、時間いっぱいやり切りました、というようなものでもない、宿題のノート。昨日あんなに説教してもらって、まさか休むなんてできなかった。正直に言おうと思った。逃げてしまえば、終わりだと思った。それでも行きたくなかった。親に蹴り出してもらうように家を出て、部活に行った。先生に伝えたら、先生は、なんて言ったんだったかな。
約束だった。期限内に宿題を終わらせられなかったぼくは、ポジションを後輩に譲った。試合には出た、前とは違うポジションで。納得していた。そういうものだと、物分かり良く、後輩を妬むことはしなかったし、同様に、元のポジションに帰りたい、と思うことも、なかった。これは、これは。これは、ぼくの諦めだ。元のポジションに帰りたい、って、本当は、思わないといけなかった、思えないと、いけなかった。けど、怖かった。それをする根性が、自分にはなかった。きっと、そういう展開を望まれているのかもしれない、なんて、傲慢にかんがえることもあったけれど、ぼくは、それが当然ことだって言い訳をして、物分かり良く、勝負から逃げた。そして、一年くらい過ごして、引退した。

相棒のように思っていたぼくの対角、その対角が、ぼくじゃないことが、くやしくないはずは、なかったのだけれど。

最近本当にもう、どうすればいいかわからない。よく眠るようになった。もう二度とまぶたが開かないことを望みながら眠ろうと横になる。
自分に疲れている、って、言えるのだろうか。ただの怠惰なんじゃ、ないだろうか。いや、怠惰なんだって、思う。だから自分を責めて、けどそれじゃぼくは動かない。自己嫌悪?傷つけられない、原動力にならないそれはオナニーだって、知ってる。

ぼくは大人びているってよく言われたけれど、みんなと話すとわかる。みんな、ぼくより大人びていく。それが、こわい。おいていかれたくない。

起きればいい。外に出ればいい。やらなかったことをやるだけで、ぼくは今のぼくじゃなくなるだろうことは、なんとなく。

なんだろうな、ぼくは

変わらなくても生きていられるから変わらないのだろう、生きているけど、幸せだけど、喜びがない、感じがする。即物的な喜びしか、ない気がする。楽しくない、だから、手放してもいいような気でいられる。成長がない。なにがない?ぼくはどうしたらいい?

来年、もしかしたら趣味の合う友達が、ルームシェアをしてくれるかもしれない。変化で変われるだろうか。楽しくない。楽しいことは知ってる。何をしたら楽しいか知ってる。ぼくは、どうすればいいんだろう、知っているように思う。行動に移れない、続かない理由は、

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