スクリーンショット_2018-11-24_20

仕事について

例えば「今日忙しい?仕事?」と聞かれた時に、返事に困ってしまうことがよくある。その度に「仕事と言えば仕事だけど、仕事じゃないと言えば仕事じゃない」と、何とも曖昧な答えを返してしまう。

それは「仕事」のスケジュールが未定だからとかいうような話ではなく、自分のしていることが果たして「仕事」なのかという極めて観念的な問いを想起してしまうからである。

今も「仕事」をしながらこの文を書いているが、それが「仕事なのか?」と問われれば答えに窮してしまう。テレビでたまに見かける「衝撃映像」のネタ元となる映像をYouTubeから海外の怪しげなサイトまで、あらゆる動画サイトをネットサーフィンしながら探しているのが、今日の仕事である。

対価として給料は発生させようと思えばさせられるので(しかも極めて個人的な裁量で)、与えられた仕事だと理解して黙々と進行させていかなければならないのは間違いない。ただ以前スーツを着て仕事をしていた環境からのギャップに未だ慣れないのも実際あり…それはそれで未だにそんなことを言っているのは問題だとも思うが。

今年他の制作会社から転職してきた先輩がいる。その人は7年勤めた制作会社を辞め、業界からも抜け出そうとしたが、総合職として彼を採用してくれる会社はどこにもなく、また同じ業界に舞い戻って来てしまったという。一方で、部署移動して半年以上経つが、局の人間やプロデューサーなど役職ある立場でないヒラのディレクターで歳をとっている人はあまり見かけない。業界から抜け出せないはずなのに、いつの間にか「抜け出されて」いる人もいるのである。消えてしまって姿が見えないだけで。実際、昼間街頭インタビューをしていると、無職の人によく出会う。そして、その中には「昔、業界にいた」という人も多い。

どんな業界でも、一度足を踏み入れたら同じような業界内を人はグルグル周り続けるのかもしれない。グルグルグルグル円を描き続ける。その中で関係を構築していき、上手く縁を描ければ、中心に向かってどんどん収束していく。そこは中心でもあり、抜け出せない蟻地獄の渦中でもある。縁を描けない人は、気づくと遠心力で弾き飛ばされている。弾き飛ばされた人が、また他の円に巻き込まれるのか、自分が新しい円を回し始めるのか、はたまた一生漂い続けるのか、誰にも気づかれない自由運動を人は永遠に繰り返していく。

(文・もいすと)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?