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ガンも恐くなかったワケ

闘病生活中、実家で過ごすべきだと周囲からいくら言われてもお独りさま生活を貫き通した私。何も恐くなかったんです。さんざん強い人扱いされたけど、これって私が強いわけではないんです。恐くなかった理由。自分なりに出したこたえを守るべき人がいるみんなへ伝えたい。
#今私にできること

1.検診のススメ

まずはじめに女性のみなさん
女性特有の癌検診、きちんと受けていますか?

年齢の縛りはありますが、ほとんどの自治体は無料で受けられたりする年もあります。たとえ自費だったとしてもそんなに高いものではないはず。

みんな自分は大丈夫と思ってるんです。私もそうでした。青天の霹靂です。そんなもんです。4人に1人は罹患するといわれていますが、当事者になるまでそんなこと知りもしませんでした。

私は大丈夫と思わず、遅くても35歳くらいから、2年に1度は自分と大切な家族のために必ず検診をうけるようにしてくださいね。

早期発見がとにかく大事です。

あなただけではなく、あなたの周りの人のためにも


2.私の癌がわかるまで

私は約10年前乳癌と告知されました。
当時38歳だった私は全く実感がありませんでした。

それまで健康診断を受けてもいつもA判定で超健康優良人だと思ってたので、突然癌だなんて宣告を受けてもまるで他人事でした。

見つかった経緯は、当時付き合っていた人に無理矢理つれていかれたポジトロン断層方(PET検診)。PET検診はその当時約20万円くらいかかりました。今は10万くらいでできるみたいです。

2年に1回くらいのペースで人間ドックを受けていた私は、いつもA判定。もちろん女性疾病の検査もしていました。

健康だと思ってる私がそんな大金をかけて検査するなんてもったいないと断りましたが、「つべこべ言わんとアラフォーは一回全部徹底的に診てもらっておけ」と、彼が受けるついでに連れていかれたんです。

そんな大金、ブランドバックでも買って欲しいわーなんて思いながらしぶしぶ受けに行きましたが今となっては感謝しかないですね。。。

検査結果は郵送で送られてきて、要再検査みたいなことが書いてありました。別に痛いわけでも、しこりがあるわけでもない。全くの無症状。まぁ再検査なんてよくあることでしょ、くらいの他人事でした。
【当時のが残ってました】⬇️

今みたら結構はっきり書いてありますね・・・
その当時精密検査を受けるようにと言われても、やっぱりまだピンときませんでした。それくらいなんの自覚症状もないんです。

そして検査の結果、悪性だと診断されました。何に恐れたらいいのか自分は全くわからないのに、周囲がまるで明日にでも死んでしまうんじゃないかというくらいオロオロし始めて、なんだか変な気分でした。


3.私の癌治療生活

辛いと思った検査、治療BEST3

3⃣位 太針穿刺吸引組織診
(ふとしんせんしきゅういんそしきしん)
文字みてるだけで痛いのわかりますよね。もう最悪😭

2⃣位 腋窩リンパ節郭清後の痛み
浮腫はなかったけどとにかく痛い10年経った今もまだ痛い

1⃣位 ▶️抗がん剤治療
驚くほど自分大好きな私がこのときばかりは好きじゃなかったです

乳癌にもいろんな種類があって、人それぞれ自分に合った治療を主治医と相談しながら進めていきます。わかりやすいサイトがあったのでこちらをご紹介しておきますので詳しく知りたいかたは是非みてください。
   乳がん.jp

【検査】
そして検査漬けの毎日が始まりましたが、実家に戻ることもなく相変わらず独り暮らしを続けてました。

最初の方、本人は痛くもかゆくもないのに、腫れものに触るような扱いを受けるのが嫌でいつも通り過ごしていました。

それまで病院とは無縁で怪我さえしたことのなかった私は、仕事を休んで病院通いをするという「非日常」を楽しんでさえいた気がします。

検査の中で1番痛かったのは太針穿刺吸引組織診(ふとしんせんしきゅういんそしきしん)。名前からして恐ろしい。その針をみたとき、「ほんとにそれを人に刺す気ですか」って思いました。麻酔してからやるんですが、麻酔が切れてきたときに地獄をみました。


ここからはさすがしんどかったところです。
【手術】
手術は乳房の悪性腫瘍摘出と、リンパ節転移があったのでリンパ節郭清もしました。手術後、取り除いた部位を見せてもらいましたよ。しっかり肉片でした。

術後麻酔が切れてきて、チューブでつながれたままベッドで動けない辛さ、あれはほんとにきつかった😭

そして腋窩リンパ郭清は浮腫こそ出なかったもののひたすら痛い!!!今でもまだふとした瞬間痛いです。

しばらくリハビリもするんですがそれも辛かったのを思い出しました。。。

友人もたくさん来てくれてすごく嬉しかったです。

でもみんな、私がもうすぐいなくなると思ってる顔してました。なんとなくわかるんですよね。みててちょっと面白かったです。来てくれたみんな、そんな目でみてた私を許してください😅


【抗がん剤治療】
そしてその後に抗がん剤治療です。
私は2種類の抗がん剤を使いました。

⬆️(抗がん剤投与中、なるべく爪に影響が出ないよう血管を収縮させるため、ヒエッヒエの手袋するんですが、これが冷たいのなんの)

一回の投与にかかる時間が4~5時間。その当日だけは病院で一晩過ごしますが、翌日には家に帰れます。

4クールしたと記憶してますが2クール目からは先生に頼んで投与当日にもうお家に帰ってました。

癌細胞を殺すわけですから、当然正常な細胞もどんどん死んでいきます。

脱毛ももれなくやってきて、ありとあらゆる毛が全身からいなくなりました。

生えてくる爪も黒かったり、浮腫がひどくて自分がいったい誰なんだと思うくらいの容貌に。

吐き気止めも同時に投与するんですが、効いてるのかどうかよくわかりませんでした。

自己肯定女王の私もさすがにひととき暗くなってたみたいです。

それでも別に動けないわけではないので、看病しに行くと、いくら母や友人に言われても丁重にお断りしてお独り様生活してました。


【放射線治療】
手術後しばらくして一ヶ月くらいかけて放射線治療をします。これは何も辛いことはありませんでした。その場所に放射線当てるだけ。あっという間に終わりますし、痛くもなんともありません。

あえていうなら治療行為5分だけのために毎日通院しなきゃいけないということですね。私は歩いて行けるところだったので全く問題なしでした。


【ホルモン劑治療】
私の癌はホルモン受容体陽性乳癌というものでした。

これは女性ホルモンの一種である、エストロゲンを餌にして増殖する癌で、乳癌のなかでも1番多いタイプ。

なので女性ホルモンを抑制させるための薬を5年間飲み続けるという治療です。1日1粒。

いいかげんな私は飲み忘れることもしばしば。

女性ホルモンを抑えるということから、更年期障害のような症状が出やすいそうなんですが、私はむしろイライラしなくなったような気がします。

もしかして今まで女性ホルモンが私をイライラさせていたのかと思うくらいです。え?私実は男。。?

というわけで治療は思ってたよりしんどいなと思いましたが、約10年経った今も元気が余るくらいピンピンしております。


4.癌が恐いと思わなかった理由と伝えたいこと

先生に「手術の当日はご家族の方に来てもらってくださいね」と言われたとき「え?1人で大丈夫ですよ」って真顔で言ったら「それだけはさすがにだめです」と言われました。

冒頭にも述べましたが、こんな感じでどうなるかわからないけど1度も「恐い」と思ったことがありませんでした。
さすがに親より先にいくのは親不孝だからだめだなとは思っていましたが。

こんな私は強いのでしょうか。

いいえ。

強いわけではなく「死に対する恐怖が薄い」んだと思いました。そしてなぜ薄いのか考えたら

守るべきもの(子供)がないから

もちろんこの先、親を守っていかなければいけなくなるかももしれませんが、子供とはまた違います。

きっと守るべきものがあれば
この先自分がいなくなったらどうなるんだろう」とそこではじめて恐くなるんじゃないかと思いました。

前に投稿したものにも「いろんな考え方をする人がいる」ことが当たり前だと書いていますが、これに関してももちろん私の考え方、感じ方、みんな同じだとは思いません。

でも病気になると自分は当然ですが周りの人も同じように辛い。むしろ自分よりも辛い思いをするほうが多いのではと思います。

特にまだ小さなお子さんがいる方へ

検診を受けましょう
早く見つけ、病気を治すことは
あなたのためではなく、守るべきもののためです


ひとりでも多くの方の病気が早く発見・治療され、この先も大切なものを守り続けられることを願います。


それではまた





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カエラ@おひとりさま女子
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