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「開運霊学」から見た自然葬について

「自然葬の怖さ」についてお話します

こんにちは〜

『開運霊学マスター』のしゅんしょう先生です。

自然葬とは

『自然葬』についてお話してみたいと思います。

その中でも先ずは『散骨』を取り上げてみたいと思います。

皆さんは『自然葬』についてどの位御存知ですか?

私は時折TVや雑誌で取り上げられているのを見たくらいで個人的には余り関心がありませんでした。

しかし、年々この『自然葬』を望む方が増えているような気がして・・・・

そこで、これではいけないと個人的に思うところがあり、今回お話することにしました。

あくまでも〈私個人の経験と考え〉ということであり、読み物として面白く読んで頂けたらよいと思っています。

さて、皆さん、『自然葬』とは何でしょうか?

簡単に言いますと、所謂お墓に遺骨を納めるのではなく海や山等に遺体や遺灰を撒くことによって、故人を大きな自然の循環の中に回帰させていこうとする葬送の方法です。

因みに『自然葬』についてインターネットで検索してみると沢山の団体が日本の将来を見据えた上で真剣に『自然葬』に取り組んでいることが伺えます。

散骨と樹木葬について

その中でよく目にするのは『海への散骨』と『山への散骨』でしょうか?

『海への散骨』・・・・これは故人の思い出の海、或いは遺族の希望があれば、ある程度散骨の場所を選べるようです。

豪華な船をチャーターすることも出来るようです。

『山への散骨』・・・これも文字通り遺灰を山に撒いて故人を自然に帰してあげようというものです。

その他『樹木葬』(遺骨を埋葬して其処に墓石代わりの樹木を植える)等いくつかあるようです。

海外に目を向ければチベットでは『鳥葬』[遺体を切り刻んでハゲタカ等の鳥に食べてもらう(鳥に亡骸をお布施する)]という方法もあります。

また、インドではヒンズー教徒が多く、その殆どの場合はお墓を造ることも無く遺体や火葬された遺骨を聖なるガンジス川に流すようです。

同じインドでもイスラム教徒やキリスト教徒では少し違うようです。

世界各地で様々な葬送の方法がありますが、それぞれの宗教や民族の死生観によって違いがあるようです。

ここでは学術的なことを論じません。

史実や事実において正確性に欠くことがあってもお許し下さい。

さて、話を日本に戻しましょう。

これから私が述べることは私個人の見解(霊的)であるということを重ねてお断りしておきます。

昔、日本では殆どの人達が『自然葬』で葬送されました。江戸中期くらいにようやく庶民もお墓を作るようになったようです。

私は『自然葬』について「是か?非か?」と問われれば、霊的立場から迷うこと無く反対いたします。

もちろん、皆様にもお勧めいたしません。

散骨に反対する理由

今の葬送の形態全てをよしとするのではなく『散骨』に反対しているのです。

反対する理由はなぜか?

それは私が多くの方の相談に乗ってきた中での経験と、何体かの『散骨』された霊の状態をしばらくの間観察してきた上でそう思うからです。

今迄、何人もの来所者の方が先祖や親戚の『自然葬』で災いを受けているのを目の当たりにしてきました。

災いを解決するにも遺骨がとんでもない状態になっているので解決するのに大変時間がかかりました。

厳密な話ではありませんが、日本人の霊は(外国人の霊の状態をあまり調べたことがないのであえて日本人とした)普通、定期的にこの世に帰ってきます。

『お盆』や『お彼岸』、そして『自分の命日や法事に当たる年』などです。

これらの『霊』を観察していると霊が自分の家(例外はあるが大抵は自分のお位牌が祀られている仏壇のある家やその身内の所)に戻って来る時には八割方の霊はお墓を経由して帰って来ます。

それでは、残りの二割の霊はというと様々です。

例えば、不慮の事故で亡くなった霊・・・死因が交通事故だとするとその事故を引き起こした強い悪霊が必ず現場周辺にいるものです。

普通はこの悪霊に霊が縛られて成仏できないことが多いのですが、力のある坊さんや遺族の熱心な供養によって成仏(いったんあの世に行くことを私は成仏と表現しています。例え地獄に落ちていたとしても)できます。

しかし、この世に帰った時は必ず事故現場を経由するので其処で悪霊による足止めをされたりして家には帰りにくいものです。(これを防ぐには命日には事故現場近くに行ってそのつど霊の名前(戒名では無く俗名)を読んで連れ帰ったりするとか?)

このような霊を観察していると霊達はどうも目印が必要なのだとわかってきました。

それでは霊界から戻ってくる時に重要な目印になるのは何か?

それは『死際の自分の念』が一つ、そして、もう一つは『自分の遺骨』です。

『死際の念』の殆どは『無念』『残念』『怨念』『恐怖』『絶望』など様々な種類があるようですが、これらの『念』を目印にして帰ってくる霊は不慮の事件や事故、災害等で亡くなった人の霊が多いようです。

その反対に『自分の遺骨』を目印に帰ってくる霊は比較的普通に最期を遂げられた方が多いようです。

しかし、何事にも例外はあります。

さて、今は、普通の最期を遂げた方の霊のお話をいたします。

あの世から帰ってくる時の目印として自分の遺骨を目指す、というよりも自分の遺骨に引っ張られるようにしてこの世に帰ってくる霊の場合ですが、もしその目印の遺骨がパウダー状にされて大海原に撒布されていたらどうでしょう。

その時に霊は驚きます「オ~マイガ〜😱」(日本人の霊ですが・・笑)例え散骨が自分の遺言通りだとしても何処に帰るか目印がない😰

霊には後悔するような意志はないので、せっかく迷わずあの世に行ってもこの世で迷ってしまい、「彷徨える不成仏霊また、一丁出来上がり!」という具合になります。

霊は自分の遺言など覚えていません。

ただ「遺骨が其処にない」という事実だけがあるのです。このような霊はどうなるのか次にお話いたします。

遺骨と霊の関係

(御先祖様のご供養をしましょう🙏)

御先祖様のお墓参りは春秋のお彼岸より、お盆のお墓参りに力を入れたいものです。

さて、早速『散骨』のお話の続きをいたしましょう。

あの世から霊が帰って来た時に目印となる自分の遺骨が『海への散骨』でパウダー状にされて影も形も無くなって、行く当てが無くなった霊はどうなるのでしょう?

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