見出し画像

親が優しすぎるという悩みは伝わりづらい

私の母は過保護です。いや、過保護をこえて過干渉です。

この悩みを友達に打ち明けても、基本的には伝わりません。
「親もいろいろあるんだよ」
「大切に思ってるんだと思うよ」
「そこまでしてもらって贅沢だよ」
こんな感想になります。

そうですよね。家事は全部やってくれるし、物やお金が足りなければくれるし、別に殴る蹴るをするわけでもない。いい親だと思います。

「お金を出すからこの服を買いなさい」
「せっかく作ったんだからこれを食べなさい」
「もう買ってきたんだからもったいない、これを使いなさい」
「これがないと不便だからこれを買いなさい」

過干渉による毒親判定の分岐点は「関係性を利用して要求を通そうとするかどうか」というところが大きいです。

弱みを握って要求を通すことは、少ないながらもあるとは思います。例えば、学校の成績が良くないとゲームを買わないなどはあるでしょう。
しかし、毒親は「ゲームが好き」というところを潰してきます。
「ゲームをさせない」という動きではなく、「ゲームが好きという感情を否定」します。

結果として起こることはゲームを渇望するオタクが育まれていきました。

なんといえば伝わるんでしょうか…。
親「服を着なさい」
子供「暑いから嫌だ!」
この場合、親はなんと答えますか?
「そんな恰好だったら恥ずかしいでしょう!」
「馬鹿なこと言ってないで着なさい!」
あたりは全然毒親ではないです。

毒親は「暑いわけないでしょう!」となります。
これは先ほどのゲームの例えをわかりやすくするための比喩ではありません。事実です。
自分が涼しいが子供は暑いということに納得できません。感情や感覚を否定してきます。
そして、感情や感覚に関係なくありとあらゆる方法で服を無理やりに着せます。

いまだに私は、服での温度調整が苦手です…。家にいたころは自分の暑い寒いに関わらず、忙しかろうがご飯を食べていようが、母が寒いと思えば作業を遮って上着を着るまで方に上着を肩にかけられ、暑いと思えば服を脱ぐまで話しかけられます。電話中ならメモ書きでも伝えます。

つまり、37歳になるいまだに、服の脱ぎ着をする基準が母にあります。今は母とは別に暮らしているため、服の温度調整は苦手ですね…。無理やり一人暮らしを始めた7年ほどでかなりうまくなったとは思いますけど…。
こんな感じで、感情や感覚が苦手というよくわからない苦手分野ができます。

どうでしょう、伝わりますか?
優しすぎてヤバいという感覚…。

過干渉な親を持つ誰かに「あぁ~、わかるわぁ!」と思ってもらえたら、この文章を書いた意味もあるというものです。

評判が良ければ、どうやってある程度立ち直っていったかなども書いていけたらと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?