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書物巡礼 2021.6.11


「ムーンライト・シャドウ」


「恋人を亡くしたのは長い人生、と言っても20年かそこらだが、のうちで初めての体験で私は息の根が止まるかと思うくらい苦しんだ。」

「思い出が思い出としてちゃんと見えるところまで、1日もはやく逃げ切りたかった。でも、走っても走ってもその道のりは遠く、先のことを考えるとぞっとするくらい淋しかった。」

「別れも死も辛い。でもそれが最後だと思えない程度の恋なんて、女には暇つぶしにもならない。」

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数年前、恋人に振られてしまったことがあった。とてもとても好きだったけど別れを受け入れた。
その日から自分をどうコントロールすれば良いのか分かる様になるまで、私はどれくらいの歳月を必要としただろう。
思い出の引き出しに綺麗に仕舞い込み今となっては輪郭も随分ボヤけてしまったその日々が、この本を読んでふと脳裏によぎった。

彼のことを考える、という行程をすっ飛ばして無意識に頭に浮かんでくるその姿や肌触りに胸を痛め、もう自分は隣にいることが許されないのかと思うと呼吸の仕方も分からなくなっていた。
一番辛かったのは起きた瞬間。どんなに気持ち良い天気の中で目覚めても、むしろ心地良い朝であればあるほど虚しさが重く心にのしかかってきた。
薄膜の絶望に包まれながらなんとか毎日をやりきって時間をかけながら少しずつ少しずつ心を取り戻していった。いつからか思い出しても心が痛まなくなった。新しい恋もした。
立ち向かいながらはぐらかしながら、哀しみの先へと進めたのだ。

この物語の主人公は恋人を交通事故で亡くし、うまく眠れない日々を紛らわすために早朝ジョギングを始めた。
ある日、折り返し地点にしていた川のそばで声をかけてきた”うらら”という女性に近々「100年に一度の見もの」があることを教えてもらう。
その運命の朝、彼女が川の向こうに見たものはー。

主人公はいたって普通の女の子だ。街で見かける沢山の女の子達と同じ様に朗らかに健やかに20年ちょっとを過ごしてきた。その健全な日々が前触れもなく突然無くなってしまったのだ。
辛いけれど悔しいけれど、そういうことは現実に起こる。うららのキャラクターも”100年に一度の見もの”も夢の話みたいな突飛なものだけど、「事実かも」と思えるほどに現実は思いがけないもので、そしてそれは誰の元にもやってくる。主人公にもうららにも訪れた様に。

恋人に限ったことではなく、家族・友人・夢・仕事でも、そういった喪失は度々私たちを襲う。
涙はこんなにも枯れないものなのかと感心するほどに泣き続けたり希望がどこにあるのか探す気にもなれなくなったり無理矢理にでも自分を奮いおこして走り出してみたり。
進んだり戻ったり上がったり下がったりを繰り返しながら数日数ヶ月数年を重ねて、私たちはその現実を乗り越えていく。
成長と言ってしまうと何だか綺麗事になってしまうほど沢山の感情を浄化して。

主人公もまさにその途中。
暗闇の中にある光を手探りで求め「幸せになりたい」と必死に足を進めている。そしてそれは主人公の周りにいる登場人物もそれぞれに。どんな状況でも、その中で最善の自分でいれるように静かにたたかっている。

このお話に出逢ってもう10数年経つけれど、折に触れて読み返してしまう。それは私も主人公と一緒に成長を遂げたい瞬間なのかもしれない。

(楓幸枝Exhibition書き下ろし)

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