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書物巡礼 川上弘美「神様」「草上の昼食」



「くまは、雄の成熟したくまで、だからとても大きい。三つ隣の305号室に、つい最近越してきた。
ちかごろの引越しには珍しく、引越し蕎麦を同じ階の住人にふるまい、葉書を10枚ずつ渡してまわってきた。
ずいぶんな気の遣いようだと思ったが、くまであるから、やはりいろいろとまわりに対する配慮が必要なのだろう。」

「「失礼、つい手づかみで食べてしまいまいした。ぼんやりしていて。」
いいのに。いつもしているように食べればいいのに。
「どうもこのごろいけません。合わせられなくなってきて。」
合わせることなんてないのに。
「そうでしょうか。」
そのままくまは黙り、わたしも黙った。」



高校1年の国語の担任の先生は教科書に載っていない自分の好きな小説の一部をコピーしては配り、授業そっちのけでその話を熱弁する人だった。
森鴎外や夏目漱石を授業で取り上げた後に「いやいやこっちの方が面白いだろう」とばかりに同じ著者の他作品を紹介することもあれば、何の脈絡もない話を「時間が余ったので〜」と唐突に紹介することもあった。その一つがこの「神様」だ。
物語は主人公の女性がくまに誘われ散歩に出るところから始まる。
のっけからそんな展開ありかよってな感じなのだが、川上さんがあまりに”普通”にこの二人のやりとりを私たちに報告してくるし、主人公の女性の”くま”に対する感想が”くま”以外に抱きようもないもので、こちらも「まぁそういうもんか」と受け入れざる負えない。なんなら受け入れられない方がどうかしてるんじゃないかみたいな気持ちさえかすかに湧いてくる。
話は実に淡々と進んでいく。散歩に出かけ川原に行ってご飯を食べてお昼寝をして夕方には帰る。当たり障りのない穏やかでのどかな休日。
でも、やっぱりくまなのだ。どうあってもくまなのだ。
周りは珍しがっている気持ちを表に出さぬよう珍しがっているし、くまもくまである自分がこの場に馴染むように主人公に対し粗相の無い一日であるように、朗らかに細やかに一生懸命振る舞うのだ。
川上さんはそこに何か味付けするわけでも無いしコントロールするわけでも無い。本の中にいる主人公とくまの1日を私たちはただ眺め続ける。
冗談なのか本気なのか。こちらへの狙いも分かり切らぬままに進んでいく話に段々と寂しささえ覚え始める。
後ろをついてくるこちらの様子も伺わずスルスルと奥の方へ歩いていってしまうものだから、不安だけど離れたくなくて「待って」と思わず駆け出し追いかけてしまう。
この手の魔法を使える人が私は昔から好きで、どのジャンルでも類似した感情になるものを選び続けていたなとふと振り返って気がつく。

さて、タイトル欄に「神様」「草上の昼食」と書いたように、この話は二部構成になっている。引用した文、一つ目は「神様」で二つ目は「草上の昼食」。
くまが人間の中で生きていくのはやはり中々大変らしい。
やりとりの物哀しさについ主人公の代わりにくまに何か声をかけたくなるけれど、主人公以上に私がくまに言えることなど結局なく、静かに二人を見守る。
何かに自分を合わせるのってそう容易いことじゃない。属せれば安心だけどその属した自分を肯定できないのは結果辛く虚しい。くまも私たちも、その事実は同じなのだ。

短く淡々とした話なのだが、その平和的なやりとりの中にたくさんの気持ちが描かれずに描かれていて胸がきゅっとなる。
大人になるほどに描かれていないものを多く見つけられるようになって更にきゅっとなる。
そうやって、これからも川上さんの後ろ姿を追いかけては胸をきゅっとさせ続けるのだろう。おそらく死ぬまで。
あわよくばそれが血となり肉となり、私も誰かをきゅっとさせたりするだろうか。
いや、欲深いうちはまだまだだろうな。

#書物巡礼
#川上弘美
#神様
#読書

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