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書物巡礼 12.19


『パリの砂漠、東京の蜃気楼』
金原ひとみ

「逃げられない日常がいつも目の前にあって、日常は怖がる私をまた被膜になって覆う。恐怖と日常のミルフィーユは何重にも重なり、生きれば生きるほど、何も見えなくなっていくように感じる。」
「まるでもう長いこと、自分は全くもって生きていないような気がしている。生きているのか死んでいるのかも分からないまま、助けてという言葉の行く宛もなく苦しいだけの毎日が拷問のように延々繰り返される。これは一体どの罪に対する罰なのだろう。」
「傷つけたくないという思いがまた誰かを傷つけ、自分自身も傷つけていく。古傷に生傷が重なり、生きているだけで痛い、辛い、苦しい状態があまりに長いこと続いている。」



私は、眠りが浅いのか、物心ついた時から毎日の様に夢を見ていた。
大概は悪夢で、底知れぬ恐怖は毎夜姿を変えて私を追いかけ回し、にじり寄る絶望からいつも必死に身を隠していた。仮想現実の出来事だというのに、そこで沸き立つ感情は現実となんら変わりない重量感で、面白いように心のエンゲージは減ってしまう。
大人になってから悪夢を見る頻度が減ってきたことで忘れかけていた、そんなヒリヒリとした感覚を、最近起きながら体験していた。この金原さんの本で。

6年間住んだパリでの最後の1年間の暮らしと帰国してからの1年間の生活を綴った金原さん初のエッセイは、私が今まで読んできたエッセイとはだいぶ趣の異なる内容だった。
購入のきっかけはとある雑誌の新刊紹介コーナー。その紹介文の中に綴られていた「毒にも薬にもならないものを書きたくなかった」という金原さんの言葉が印象的で是非拝読したいと手に取ったのだけど、読んでそのことばの意味がよく分かった。
自らの精神世界をこれでもかとばかりにえぐり出し、私達の目の前に広げてみせる金原さん。「身を削る」とは正にこのことか、と。
普通あんな広げられかたをされると、速攻で本を閉じ二度と開かないことになってしまいかねないけど、金原さんの文章があまりに滑らかで美しいものだから、どんどん引き込まれていく。
ただ、私は一気には読めなかった。正確には、読めるのだけど、わざと少しずつに分けて読んだ。入り込みすぎると、その日はもう戻ってこれなくなってしまいそうだったから。
これがエッセイだと言うことが正直恐ろしかった。まるで小説のように、ドラマチックに克明に描かれる金原さんの精神の揺らぎと葛藤。読んでいるときに味わう心の持っていかれ方は、冒頭に話したあの感覚を思い起こさせた。
最初は軽い恐怖心すら抱きながら読んでいたのだけど、読み進めていくうちに気付いた。彼女はとても真面目でとても優しい人なのだ、と。だから生きることにいい加減になれないし人の痛みを敏感に感じ取っては深く深く傷ついてしまうのだ、と。

そんな切実な内容の中で、とても嬉しいエピソードがあった。「フェス」と言うタイトルで、金原さんがとあるバンドに心奪われ生きる活力をもらっていた、というもの。
「聴いているだけで見ているだけで歌詞を読んでいるだけで息の仕方を教えてもらっているように解放感に包まれた。」と綴る金原さん。彼女をギュッと抱きしめたくなるような心持ちで読んだ。
バンド名は書かれてなかったから一体どなたのことなのかは見当がつかないけど、音楽が色んな人の、生きる、という行為の後押しになっているのだなと言う事実がただただ嬉しかった。

終始、刃物を喉元に突きつけられているような切迫感極まるエッセイだったけれど、読後の後味の悪さなどは全くなかった。
金原さんはとても真摯に自らを綴り、私たちに提示してくれた。その内容が悲しみであり苦しみであっても、誠実であればそこに不快感なんて生まれないのだなと思った。
そして、それはきっと全てにおける共通項でもあるんだろうなとも思った。


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