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書物巡礼


『星の王子さま』

散歩をするのが趣味でして、時間に余裕があると電車2,3駅分歩きます。
Google mapで検索した道に従い、住宅街をすり抜けながら、ふとおもったんです。
この立ち並ぶマンションや一軒家のひとつひとつに住んでいるわたしの知らないたくさんの誰かがわたしの知らない日常を過ごしていて、わたしが知らないようにその人たちのおそらくほぼ全員もわたしのことを知らなくて、その人たちにとって、わたしの悩んでることも気になってることももっと言えばどんな人生を送ろうがそれはきっとどうでも良いことで、無関心なできごとで、
そっか、今わたしが気にしてるあの子の活躍や怖がっているあの人の意見やそれを取り巻く今の関係も世界にとってはどうでも良いことなんだよな、と。



「じゃあ秘密を教えるよ。
とてもかんたんなことだ。
ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。
いちばんたいせつなことは、目に見えない。」
砂漠で出会ったキツネに王子さまが教えてもらったことであり、このお話のとてもたいせつなテーマ。

1943年に出版された不朽の名作
「星の王子さま」。
サハラ砂漠に不時着をしてしまったパイロットの「ぼく」が出会った王子さま。王子さまの話では、どうやら彼はある小惑星からやってきたのでした。
王子さまはその小さな星で一輪のバラと暮らしていました。
けれど、王子さまはある日バラと喧嘩して星を旅立ってしまいます。
いくつかの星を巡り、7番目に降り立った地球で、王子さまは五千のバラが植えてある庭園を見つけ、胸が締め付けられる思いにかられたのです。

<ぼくはこの世に一輪だけの財宝のような花を持ってるつもりでいたけど、ほんとうは、ただのありふれたバラだった>

この経験はきっと色んな人に身に覚えがあるきもちなんだとおもいます。
バラは、自分や恋人や友人・仕事のスキル・特技や能力など様々にメタモルフォーゼして。

上も下も右も左も見渡せばキリがないのは、1943年も2020年も何も変わらない事実のようです。
香取慎吾さんの『Metropolis』という曲のワンフレーズ、"可視化されない価値観の迷路"ということばがすきなのですが、考える程にこの迷路は巨大になっていき、かんたんには抜け出せないような感覚に陥るわけです。

んでも、王子さまは迷路に迷い込むことなくちゃんとこたえを見つけるわけです。
そのこたえのヒントをくれたのは、先ほどのキツネ。
「なつかせたもの、絆を結んだものしか、ほんとうに知ることができないよ」
王子さまはどうすればなつかせることができるのか、知ることができるかをキツネに教えてもらいながら、ふたりはともだちになっていったのです。
そしてキツネの元を出発せねばならないときが訪れたとき
「もう一度バラたちに会いに行ってごらん。きみのバラが、この世で一輪だけだってことがわかるから。」
と言われ、王子さまはふたたび庭園のバラたちに会いにいくのです。



価値をつくるのは、それまでにかけた時間であり、手間であり、きもちで、
キツネのことばを借りるなら「がまん強くなること」。
そうして積み重ねた全てが、わたしやあなたや知らない誰かそれぞれの、その人だけのたいせつなものになり価値のあるものになる。
これもやっぱり、1943年も2020年も変わらない事実で、願わくば100年後もそうであればうれしいな、とわたしはおもいます。

物語のなかで、 
キツネと王子さまの別れ、
そして「ぼく」と王子さまの別れのときを描いてる場面では、たいせつを築けた人だけが知ることのできる宝物について描かれています。
これがとてもロマンチックで切ない。
グッとくるんです。
このあたりは是非読んで噛み締めていただきたい次第。

わたしが今この文章を発信してる画面からは、
幸せも不幸せも日々怒涛のスピードで流れては消えていくわけですが。

ここのところ、わたしはわたしを振り返り、そうして見つめ直したわたしがこの先もたいせつにしたい人やコトはなんだろうとゆったり考えてみたりしていて、そのタイミングで読み直す『星の王子さま』はまた格別の味わいであるのでした。

作家サン=テグジュペリの織りなす詩的な会話も、おとなになるほどに味わいが深く濃ゆくなっていくのも良きであります。
是非に。


#書物巡礼 
#星の王子さま
#サンテグジュペリ
#本

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