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書物巡礼


『夏物語』

「俺は自分の生きた証は子どもだと思うんだよ」
と高校の先生が言っていた。
保健体育の授業で私が唯一記憶してること。
きっと「子は宝」というピュアな愛を話してくれたんだとおもう。
それを百も承知で、夏物語を読んだ私は敢えていじわるに反論してみようと試みる。
「あなたのその身勝手な願望のために、自分は大したリスクも犯さずに他人にばかり痛みと苦労と危険を背負わせてまで証明したいその存在価値はどんだけ偉大で尊いわけ?子どもはそれに付き合うただのツールなわけ?」 夏物語の表紙に「これはあなたの人生のどこかと、いつまでも響きあう物語」と書いてあるのですが、
読み終わって、あぁほんとに、読んで字の如くな内容だったなぁと思うのです。
パートナーなしの出産を模索する主人公の夏子を主軸に、登場人物一人ひとりの生き方の選択・価値観や感情が、濃ゆく濃ゆく混じり合って絡まってゆく。
子どもを産むこと、産まないこと。
家族と生きていくこと、1人で生きていくこと。
親子夫婦独身友人恋人仕事仲間どこにも属さないあなたやあの人。

今はママミュージシャンもママタレントも当たり前だしちゃんと世の中が応援してくれるけれど、私が20代なりたての頃は今ほど主流じゃなくて。
だから私は
「音楽をやりたいと決めたからには、母親という女性としての生き方は選べないかもな」
と、うっすらと勝手に覚悟を決めていました。
何かを成すには何かを捨てて生きる可し
と、侍魂のような気合いが心の中で勃発してた。
今おもうのは、
来年出産してるかもしれないし、
一生無いかもしれないし、
分かんないけど、どっちにしても自分の生き方を大事にすることは忘れたくないなということ。
私はすぐ逃げ腰になるから、
だからこそ忘れちゃいけないよなって思う。

夏物語では家族の絆というのも大事な題材になっているのですが、
やっぱ家族って死ぬまでの時間をかけて家族になっていくものなのだなぁって思うんです。
手間隙をかけて時間をかけてもらったりあげたり行ったり来たりのその先に唯一無二の愛情が出来上がっていって、
それの名称が家族、
ってことになるのだよなって。
昔さくらももこさんがエッセイで実のお爺さんの葬式をブラックユーモアに書き記した「メルヘン翁」という話があって、それの後書きに、
"私は、血のつながりよりも、接する事になったその人を、自分はどう感じるか、自分はその人を好きか嫌いか、という事からつきあいを始めている。"と書いていらっしゃったのだけど、さくらさんやっぱ良いな、と読んだ当時おもいました。
家族を好きでいる権利はあっても義務はない。
万が一家族という繋がりが辛いなら嫌いになれば良いと思うし別の人生を歩んで全然良い。
だって家族も他人だもの。
こんな言い方すると「ま、なんて冷たい人!」
と言われそうですが、私が自分の親兄弟を好きなのは、みんなが家族であり続けようと努力していたことを知ってるし、1人の人として尊敬出来るからであって、家族というカテゴライズが理由なわけじゃないんだよなぁ、きっと。
血の繋がりってことばはある種の照れ隠しなのかも、なんて考えたりもします。
名前のついた理由があるほうが人って恥ずかしくないですもんね。

おぉ、気付けばまた長々と。
読んでくださったみなさまありがとう。
でも、これでも我慢した方です。笑
ってくらい!夏物語は濃厚で、そして色んな自分と向き合い・考え・話したくなる作品でした。
男女問わず読んでほしいです。

川上未映子さんの情熱がほとばしる素晴らしい一冊を読めて私はとてもうれしかった。

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#本

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