見出し画像

窓の光が灯るまで

 今日も私は、重いカバンを持って歩いている。
 グシャグシャになったメイクは夜が覆い隠してくれるから、暗い道を歩けば問題ない。 
 買い替えたばかりの黒い無地のパンプスは、毎日の会社通いでもうくたびれている。
 気が付けば汗ばむ季節も終わりつつあって、それが私を再びすり減らしていく。
 一体なんのためにこんなことをしているんだろう、と自分の中に問い掛けても、心の中の私は教科書通りの正解しか教えてくれない。
 生活のため、生きるため、お金のため、世間体のため。そんなことはわかっている。でも私が求めている答えはそれじゃない、と漠然と思うだけで、その他の理由は真っ白だった。
 最終出勤を言い渡されてからもう半年も経つというのに、お守りと言うべきか、呪いというべきか。かばんの一番内側のクリアファイルに半分に折りたたまれた解雇通告が今もまだひっそりと息を潜めている。
 スマートフォンに届くたくさんの通知の中にまた1つ、開けたくないメールが増えた。昨日の書類審査も、一昨日の面接もきれいな言葉で飾った上辺だけのお祈りに変わった。
 ため息をつく気も起こらない。それはそうかと納得さえする。どうして、対して執着も希望もない会社に入れようものか。
 落ち込むより先に、家族にどう伝えようかという考えが先行するあたり、実際のところ、お祈りされて正解だと言わざるを得なかった。ただ、それでも、眼から流れていく雫が白い使い捨ての不織布に染み込んでいくのを止められない。
 いつの日か真夏に真っ黒のスーツを着た人を見て、私はああなりたくないと名前も知らない誰かを見下していたのを今でもはっきりと覚えている。けれど、いつの間にか見下されるのは私の番になっていて、新卒の若さもなく、中途社員と言うには経験のない私は大人の言う「社会の荒波」というものの中でひとり彷徨い続けている。
 ずるい、なんて言う資格はないのだ。
 私には、先に辞めて行った同期のような決断力はなかったし、会社の最期を見届けたお偉いさんのような人脈もなければ、面倒を見てもらえるほどの優秀さも可愛げもなかった。全て私が決めて選んだ、当時の最善の選択だ。不正解でもなければ、選択ミスでもない。私なりの正解を選んだ結果がこの顛末なのだ。逆に言えば、「私の正解」への固執が招いた当然の帰結なのだ。誰のせいでもなく、強いて言うのであれば、自分のせいだ。

 自販機のコーヒーを買って、人気のない公園のベンチに腰掛けて、重いカバンをおろす。緊張して冷える指でスマホを操作して、深呼吸をして電話をかける。 この時ばかりは就活アドバイザーが鬱陶しくてたまらない。面接の感想なんて何もないし、反省点も見え透いている。言い残したことなんて、時間を奪った謝罪とお礼くらいだ。

 こんな毎日を続けていて、本当に未来が来るんだろうか。こんな悩み続けていて、本当にいつか前向きになれるのだろうか。
 どんなことも無駄にはならない、とみんな知ったようにそう言うけれど、一生知らなくていいことも世の中には確実にあると私には思えてならない。
 冷めた家族仲とか、自社の倒産とか、山のようなお祈りメールに不在着信、それに悪夢にうなされる夜中の温度とか、不眠症の薬の味とか。数えだしたらまったくキリがない。
 いっそのこと全部捨てて、この身から脱出するなんてどうだろう。いつか見たドラマや小説のように、異世界にトリップしたり違う誰かになったり。あるいは天国や地獄と呼ばれる幾分か現実に近い別世界に行くことのほうがよっぽど簡単だとさえ思ってしまう。
 そう思うたびに別世界トリップ法について詳説に解説された本を読み返しては、思い留まる。
 こんなに苦しいのは嫌だとか、こんなに難しい方法は無理だとか、あるいはこんなに簡単ならまだもう少しできることがあるかもとか。なんにせよ、自分の命さえも私は自由にできないなぁ、なんて考えながら私は歩いていくしかないんだ。

 やけに足が痛いと思ったら、擦れた踵に血が滲んでいた。ストッキングのせいで絆創膏も貼れないし、やっぱり今日は来なければよかった。

 重いカバンをまた持ち上げて、右足をかばいながらぎこちなく歩いていく。
 夜のビル街を抜けて、住宅街に差し掛かれば、人も音もなく、電灯もまばらだ。私にはよくお似合いだと思う。よく見れば、団地の窓の一つ一つから微妙に違った色の仄暗い光が漏れている。この光る窓の数だけ人がいて、生活がある。
 わたしの部屋ももうすぐ光が灯るはずだと今はまだ、信じるしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?