見出し画像

〈小説〉竹崎を殴る

竹崎を殴りたい。
初めてそう思ったのは高校三年の秋だった。
その頃おれには一年生の時から片思いしている相手がいた。ユリちゃんだ。
肩までの艶やかな黒髪、白い肌、笑うと垂れる丸い目。可愛かった。
そしてなによりユリちゃんは性格が良かった。みんなが嫌がる体育の後片付けを率先してやったし、他のみんながサボるようなトイレ掃除を一人でもきちんとこなした。
ユリちゃんは真面目で、パンツが見えそうなくらいに短く制服を改造した他の下品な女子とは全然違う存在だったのだ。
おれは受験が終わったらユリちゃんに告白しようと思っていた。三年間の気持ちを全部ユリちゃんにぶつけて、玉砕したらそれまでだと。

それなのに悲劇はおきた。
ユリちゃんが竹崎に告白したのだ。よりによって竹崎に。
竹崎はユリちゃんの告白にOKの返事をし、二人は付き合い始めた。
ユリちゃんは二年の秋くらいから竹崎を好きだったらしい。
体育祭の応援団で一緒になった頃だろう。おれが応援団に入ってさえいれば、ユリちゃんは竹崎ではなくおれを選んだかもしれないのに。おれは用具係を希望したことを激しく後悔した。
それから一ヶ月もしないうちに二人は別れたという噂が流れる。ユリちゃんは三日も学校を休んだ。おれは校舎の非常階段に竹崎を呼び出し、ユリちゃんに何をしたと詰め寄った。
すると竹崎はへらへら笑いながら「お前が好きな女だって言うから試しに付き合ってみたけどつまんない女だった。おっぱいも小さいし」とのたまった。
おれは拳を振りかざした。竹崎を殴る。そう心に決めた。
竹崎は眉間にシワを寄せ顔を斜めに傾けた。
「いいよ殴れよ。一発だけだぞ」そう言って構えた。
けれどおれは殴らなかった。殴り方を知らなかったのだ。振り上げた拳を、どのような角度からどのような力で打ち込めば竹崎の頬にヒットするのか想像ができなかった。
しばらくおれの拳を待っていた竹崎は、へん、とバカにしたように言って逃げた。
おれの拳は行き場を無くした。あのときからおれは、竹崎を殴りたいとずっと思っている。

12月に入ってすぐ、竹崎からLINEがきた。
——12月23日と24日ひま?
23日の土曜日は祝日で、カレンダー上では赤い連休である。
暇だった。だがおれは確認した。おれが暇かどうかは用件にもよる。なんで?とおれは返信する。
——ひまじゃないなら別の奴誘うからいいや
おい用件。
さては暇だと答えたら用件を言うつもりだな。仕方ないのでおれは正直に暇だと改めて竹崎に返信した。
——22日21:30にバスタ新宿。日帰り夜行バスだから風呂すませてこいよ
日帰り。夜行バス。竹崎はおれをどこへ連れていこうというのだ。
で、行き先は?とおれは返信する。
——あと5万持って来い。現金で
誘拐そして恐喝まがいの竹崎からの誘い。
だからどこに行くんだよなんでそんなに金がいるんだよと何回か返信しても、竹崎はその全てを既読無視した。

高校を卒業してからおれは第一志望ではなかった大学へ行き、竹崎は就職した。
おれは大学で学ぶことの意味を見失い、一年持たずに中退してしまう。そのあと就職先をなんとか見つけ、卒業後初めての同窓会で三年ぶりに竹崎に会った。
竹崎は持ち前の器用さで職場では責任ある仕事を任され活躍しているらしかった。
それに比べておれは、仕方なく就職した会社で特にやりたかったわけでもない仕事をして日々を過ごしている。
同窓会で会ってからは男だけの数人でたまに飲みに行くようになった。主に彼女のいないやつらで集まる。その中に竹崎とおれは毎回いた。話すときもあったし話さないときもある。
時々ユリちゃんのことを思い出しては、酔っ払った弾みという言い訳で殴る機会を伺った。だが竹崎が先に酔うことはなかった。
これは良いチャンスかもしれない。
二人きりなら「あの時殴りそびれた一発」という名目で竹崎を殴れるかもしれない。おれは竹崎を殴らない限り、ユリちゃんへの思いを絶ちきれないのだ。たぶん。

12月22日、おれは言われた通り風呂を済ませ、竹崎との約束のバスターミナルに行った。
大きな観光バスが何台も停まっている。
長野行き、岡山行き、ユニバーサルスタジオジャパン行き。
「金は」
後ろから声がして振り向くと竹崎がいた。
風呂上がりなのか、髪が少し濡れている。
「どれ乗んの?」
「先に金」
「5万持ってきたけど……」
「2万でいい。ツアー代立て替えた分」
そう言って竹崎は手のひらで催促する。
「2万でいいの?」
「3万は小遣いだろ、土産とか食事とか。2万って俺が言ったらお前ほんとに2万しか持たずにくるだろ、バカだから」
おれは財布を握りしめる。黒の合皮の二つ折り財布。この財布で竹崎の頬を殴りたい。出来れば角を使い強めのダメージを加えたい。
「乗るぞ」
竹崎が言い、あとに続いて乗ったバスには『ユニバーサルスタジオジャパン行き』と書いてある。おれはどうやら、今からUSJに行くらしい。
バスの窓際の席に竹崎が座り、おれは通路側に座る。乗り込んでくる乗客はカップルか女同志のグループで、男二人組はおれたちだけのようだった。
バスは出発し、アナウンスが流れる。途中休憩のため数回サービスエリアで停車し、朝7:50頃USJに到着する予定という。
「日帰りって言ってなかった?」
おれは窓の外の流れる景色を見ている竹崎に話しかける。
「ああ」
「帰りはどーすんの」
「21:45発のバスがあっちから出る」
「へぇ」
それから竹崎はなにも話さず、おれも話しかけない。そのせいで後ろの女たちの会話が聞くつもりが無いのに鮮明に耳に届く。
何から乗る?何食べる?ショーを見る場所は?次々と話題は代わり、楽しみにしている彼女らが微笑ましく思える。
どうして竹崎はおれを誘ったのだろう。そうか一緒に行く予定の女に断られたんだな。
「本当は誰と行く予定だったんだよ」おれは訊く。
「お前だよ」言われて何故か照れる。
「なんでおれなんだよ」
「お前のクリボッチを救ってやろうと思って」
竹崎がニヤリと笑う。
嬉しいような、ムカつくような、笑えるような複雑な気持ちになる。
しばらくすると竹崎が窓に頭をつけてうとうと眠り始めた。
頭上の棚から誰かの荷物が転がり落ちて竹崎を直撃しないかな。出来れば固い、水筒のような。などと考えているうちにおれは眠ってしまい、気がつくとバスはサービスエリアに停車して一度目の休憩に入っていた。
目覚めた竹崎とおれは一緒に手洗いへ行き、用を足す。バスの場所まで戻ると乗り込む直前に「カプリコ買ってきて」と竹崎が言う。
「えぇ……」
「お前財布持ってきたんだろ、俺座席に置いてきたから」
捕られたらどうすんだよ、と言おうとするより先に竹崎が続ける。
「カプリコと飲み物。なんかスーっとするやつな」
そう言って竹崎はバスの乗降口を登る。
休憩の残り時間が気になるのでおれは走って売店へ行く。カプリコと、竹崎が確か好きだったジンジャーエール、そして自分のコーヒー。
会計を済ませ急いでバスに戻ると、まだ戻っていない人たちが数人いるようなのでホッとする。
袋から、ジンジャーエール、カプリコの順で出し、竹崎に渡した。
「おェ!」
カプリコを持ち竹崎が怒鳴る。
「誰がクリスピーチョコ味つったんだよ!」
前の座席の人たちが何事かと振り返る。
「カプリコって言ったろ」
「俺が食べたいのはいちご味なんだよっ! カプリコといえはいちご味だろ! いちご味以外って頼まれた時だけなんだよこういう味買っていいのは!」
「なんだそれ」たかがお菓子で。
「お前は本当になんにもわかってねぇのな。……お前は! カプリコを! なにひとつ! わかってない!」
おれの鼻に触れるくらいの近さに竹崎の突き立てた指先が迫る。後ろの方からクスクスと笑い声が聞こえる。とりあえずその場を収めようとおれは謝る。
「ごめん」
「飲み物がジンジャーエールじゃなかったら俺お前殴ってたからな」
竹崎は慣れた手つきでカプリコの包装をはがす。
殴りたいのはおれの方なのに。
隣でカプリコをムシャムシャと音をたてながら食い、ジンジャーエールを飲んでは盛大にゲップをする竹崎を、どのように殴れば良いか目を閉じて考えた。拳か、ひじか、あるいは何か凶器を使い竹崎を殴りたい。殴らなければならない。殴る、殴れば、殴るとき……。考えているうちにおれはまた眠ってしまい、気がつくと朝で、バスは大阪の高速道路を走っていた。

USJに到着し、混雑したゲートをくぐると、テレビで見たことのある大きな屋根が見える。
赤い鳥の着ぐるみと制服を着たクルーが出迎えてくれる。外国みたいな町並みを歩いて進む。
「何から乗る? 竹崎!」
おれははしゃいでしまう。さっき入り口でもらったパークの地図を広げる。
「俺乗らない」
「はぁぁ!?」
「俺吐くから。そういうの」
「ちよ、おまっ、はぁぁ!? 馬鹿じゃねぇの!」
おれは笑いが込み上げる。ウケる。乗り物怖いとかありえねぇ。
「じゃあ何しに来たの竹崎!ねぇ竹崎!」
「うるせぇな!乗り物なんか乗らなくても楽しめるようにできてんだよUSJは!」
はははは!と笑ってから、いやちょっと待てよと思い直す。おれは乗りたい。乗りまくりたい。SMAPがテレビで乗ってたジェットコースターとか、うつ伏せで乗る恐竜のやつとか。
「じゃあ俺一人で乗ってきていい?」
おれは訊く。USJに来て何も乗らなかったなんて黒歴史にも程がある。
「だめ!」
「なんでだよ!」
「この旅のリーダーは俺だぞ!」
竹崎が言い、おれは喉の奥でうなる。
とりあえずハリー・ポッターのゾーンに行くぞと竹崎が言い、直行するとすでに列が出来ている。おれたちは大人しく並びなんとか入場できたが、そのあとすぐに入場が制限され時間指定のチケットを機械で受け取らなければならないようだった。
木々に覆われた通路をしばらく歩くと、映画で見たことのあるハリー・ポッターの世界が広がる。屋根の上にはうっすらと雪が積もっている。
「おいみやも!ホグワーツ城だぞ!」竹崎が言いおれたちは奥へと歩を進める。
竹崎は機嫌が良い時はおれを『みやも』と呼ぶ。普通の時は『宮本』、機嫌が悪い時は『お前』。
おれたちは狂ったように写真を撮りまくり、ホグワーツ城をバックに頬を寄せ合いツーショットを撮る。
「あれ飲もうぜ!」と竹崎が提案した、唇に泡がつくバタービールは結局一時間並んでやっと購入することができた。
ハリー・ポッターゾーンを出てパークの中心へ向かうと、トラックの荷台のようなステージで黒人の4人組が躍りながら歌い、演奏を始める。おれたちは自然と足を止め、ステージに釘付けになる。
見終わったあと竹崎はカートでやっていたミニオンのミニゲームに子供たちに混じって参加する。
頼むからこれだけはとおれが一生懸命説得し、セサミストリートの4Dムービーの列に家族連れに混ざって並ぶ。
鑑賞後「余裕だった」と感想を述べる竹崎に、だったらジョーズも大丈夫だよ竹崎お前ならできると励まし、昼食後にジョーズに並ぶことを約束させる。
カートで売っていたチェロスやグローブつきのターキーレッグを買い、空いているベンチを見つけて腰掛け無言でかぶりつく。

そのあと約束通りジョーズの乗り場へ行くと列は一時間半待ちだった。
お互いにスマホを見たり他人の会話に聞き耳をたてて時間をやり過ごす。ゆっくりと乗り場に近づき順番が迫る。入り口で買った雨合羽を装着し、あと数人で自分たちの番だというとき竹崎が「やっぱやめる」と言い出す。
「馬鹿なこと言うなよここまで来て」
「俺こういうの怖いんだよ」
「大丈夫だよおれがいるから」おれが励ますと、竹崎は食い縛った歯の隙間から「お前なんかなんの役にも立たねぇよ」と顔を小刻みに震わせ言う。
そのうちにおれたちの番になり、竹崎は船の左側へ、おれはその隣へ座った。
クルーの女性がやたら高いテンションでおれたちを盛り上げようとする。
竹崎は暗い顔で身を縮めている。「サメが来ても大丈夫だ」とクルーの女性が言い、「本当に大丈夫なのかよ」と竹崎が野次を飛ばす。
同乗している数人の子供は大人しくしているというのに、竹崎は「おいおいおい!」とか「あー怖い怖い怖い!」とか「やめてぇ熱い!」「水ぅ!サメぇ!」などと大騒ぎする。
おれはそれを見て大笑いする。
船が乗降口まで戻り、先に降りたおれが手を差しのべると竹崎はそれを振り払う。おれはしまった!と思う。竹崎がパニクっていたさっきまでは、竹崎を殴る絶好のチャンスだったのではないか。怖いとおれに身を寄せたとき、熱いと身震いしていたとき、顔は無理だとしてもボディに一発食らわせるくらい簡単だったのに。
「もうなんにも乗んねぇからな」と青い顔で竹崎が凄み、はいはいわかったわかったとおれは答える。
その後「俺に怖い思いをさせた罰だ」と買わされたミニオンのポップコーンバケツは、クリスマス仕様で2980円もした。
ミニオンの頭の後ろから交互に手を突っ込み、おれたちはポップコーンを食べた。

『天使のくれた奇跡』というショーがあるらしいから場所を取ろうと竹崎が言い、おれたちはマップを頼りに観覧無料ゾーンのなかでもよく見えそうなポイントを探す。
竹崎が観覧する場所を決め、「交代でトイレ行こうぜ。お前先にいけよ」と言うのでおれは一番近くのトイレで用を足し戻る。次に竹崎がトイレへ行ってからショーが始まる直前まで40分近く竹崎は戻ってこなかった。「わりぃでかくて固いのがいっぱい出た」と竹崎は嘘っぽい言い訳をし、体が冷えきったおれは言い返す気力もなく足踏みして体を暖めた。
どんどん人が集まって通路を埋め尽くす。
空がすっかり暗くなる。
ざわざわと口々に話していた客らが、ショーの始まりを告げるアナウンスで一斉に静まり返る。
神聖な曲が流れ、目の前の建物にプロジェクションマッピングで映像が映し出される。夢と現実がごっちゃになったような景色におれは思わず声をあげる。演者の動きと映像が見事に調和し、それを見逃すまいと視線を這わす。
冒頭の一瞬にしてショーの世界に惹き込まれる。
おれは竹崎が気になり横顔をチラリと見る。
神に赦しを乞うような表情の竹崎を反射する鮮やかなライトが照らす。
どこからか子供たちの澄んだ歌声が聞こえる。生歌なのか、臨場感がすごい。
建物の上には天使が見える。吊られているのか足場があるのか、仕組みはわからないが飛んでいる。色とりどりの光。まばゆく輝きながら舞い落ちる紙吹雪。巨大なクリスマスツリーが命を吹き込まれたかのように点灯し、歓声が上がる。
歌声はまるで耳元で聴こえるかのように心に迫る。破裂音と共に花火があがり、喝采は途切れることなくそれを喜ぶ。
目の前に広がる幻想的な景色と歌声に心を奪われ、なぜか死んだばあちゃんや小学生の頃飼っていた柴犬のシロの顔が次々と浮かぶ。
鼻の奥が熱くなり思わず泣きそうになったとき突然竹崎がおれの二の腕を掴む。
「メリークリスマス!」
ミニオンのポップコーンバケツを首からぶら下げた竹崎がおれを見て訴えるように言う。
おれは一瞬の間を置いて「お、おう、メリークリスマス!」と返す。
手が痛くなるほどの拍手をし、ショーの終わりを告げるアナウンスが流れても、おれたちはそこからしばらく動くことが出来なかった。

帰りのバスに乗り込み窓際の竹崎のとなりに座る。
行きと同じように途中数回の休憩をはさみ翌朝8:00頃東京に着くとアナウンスが流れる。
上着を脱ぎ座席に深く座るとさっき竹崎と「メリークリスマス」と言い合ったことがとたんに恥ずかしくなる。でもUSJのクリスマスショーには、男同志でメリークリスマスと言わせてしまう魔力があったのだから仕方ない。
バスは走り始めてすぐに高速道路に乗る。
窓に頭をつけて眠りはじめたと思っていた竹崎が突然顔を上げ、静まり返った車内に響き渡るような大声で「ちんことけつの穴だけ洗いたいな。なぁみやも!」と言ったきり、竹崎はまた眠ってしまう。
おれは竹崎越しの窓に流れていく高速道路の防音壁をしばらく見ていたがやめ、さっき観たショーの余韻に浸ることにした。
目を閉じるとすぐに幻想的な景色がまぶたの裏によみがえる。
うとうとし始めたとき、次のサービスエリアで停車し休憩を挟むというアナウンスが流れる。
眠っていた乗客がもぞもぞと体を動かす。
竹崎も目を覚ましまぶたをこする。
誘ってもらってよかった、良い1日だったとふと思い急に礼が言いたくなる。
「竹崎ありがとう。USJ楽しかったわ」おれは心を込めて言う。
すると竹崎は鼻にシワを寄せ強めの舌打ちをし、今日見た中で一番の憎たらしい顔で言った。
「お前口くっせぇ!」
おれは殴り方を知らない。今まで誰かを殴ったことがない。 初めて誰かを殴るとしたら、それは竹崎だろう。
拳を振り上げて、竹崎の頬に向かって肘を一気に伸ばし頬骨にヒットさせる。
竹崎は「ぐぉっ」と声にならない音を吐き、ゆっくりと地面に崩れ落ちる。
そして竹崎が言うんだ。「いいパンチ持ってんな、みやも!」と。
目を閉じて、そんな妄想をしているうちにおれは眠ってしまう。
おれと竹崎を乗せたバスは、夜の高速道路を走る。

サポートして頂けたらめっちゃがんばって小説書きます。よろしくお願いします!