見出し画像

「そんなに頑張らなくても」にチクッとする訳に気づいた

私は適応障害で休職中のワーママ(娘3歳)。

「現場は女の人には難しいと思うんだよね…」

とか

「こどもができたらそんなに頑張らなくても」

とか。

そんなニュアンスのことを耳にするたび、胸がちくっとするこのごろです。

こう言ってくれる人は悪くなくて、確かにそういう生き方もあると思うし、私の心の話なんですが。

なんでチクッとするんだろうなぁと私も不思議だったんですが、さっき理由がちょっと分かったかもしれないです。

私の仕事を軽くおもわれてる気がして悲しいんだなと。

まぁ、私は会社の歯車だし、私がやらなくても誰かがやってくれるわけで、
まぁ社会にとっては私の仕事は実際重くないわけです。
そう言われるのも道理。

でも「わたしにとっては」私のやってきた仕事は軽くないわけです。一生懸命やってました。

なんでここエラーだすんだろうとかサーバーの前で頭を抱えたり。
火事場に行ってお客さんに頭を下げつつ誠意をみせてすこしずつ信頼してもらったり。
夜のデータセンターからとぼとぼ帰るときに聴く米津玄師はやたら爽やかに聞こえたり。
そういうひとつひとつに私の一生懸命がつまってる。
職位があがったときは誇らしかったし、こどもができても続ける方法があるなら続けたかった。
時代だって、女性活躍と言っている。
試すだけ試したかった。

そういう切ない気持ちと、「そんなに頑張らなくても」の言葉が相性がよくなかったから、私の胸はちくりとしたようです。

「そんなに頑張らなくても」と言ってくれる人にとっては仕事は軽いーいや、女が会社でする仕事は軽いのかもしれないですね。
でも、「そんなに頑張らなくても」を、同じように研鑽するスポーツ選手ーたとえば記録を目指して頑張ってるうちに骨折したとかーにも言えるか。
なぜ私には言えてしまうか。
なんてね。
別の事柄で、私も似たようなことを他人にしてしまってるでしょう。お互い様です。他人にはそういう事情はうかがい知れない。

とはいえ、ひとつだけ確かなことがあります。
きょう自分の本音を言語化して手のひらに掬えた私は、もう「頑張らなくても」と言われて胸がチクッとはするかもしれないけど、悲しい気持ちにならないでしょう。
その胸の痛みは誇らしい。

誰もがこんな気持ちになれるものではない。

「そうですねぇ」 

そうひとこと伝えて、その尊さを噛み締める早春です。