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文体の舵を取ってみて

文体の舵を取ってみて

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航路を振り返る

2週間に1つ課題をやる。
 だいたいそんなペースで進んでいった「文体の舵をとれ」実作&合評会が終わった。合評会は16回行われ、全10章で約10か月かかった。
 これを長いと感じる人もいるかもしれないが、仕事をしながら合間にやるのは思ったよりも労力が大きかった上に、課題の一つ一つが脳の使ったことのほとんどない部位を刺激するような難易度だったのもあって、毎回締め切りギリギリ(アウト)で実作を提出していた(すいません)。
 そういったギリギリ感もあって、やっている感覚はさながら大学の授業を受けているようであった。毎回課題があって、その提出に追われる……
 教官たるル=グヴィン先生は厳しくも暖かい先生で(9割厳しかったが)、時折愚痴をこぼしていたが(何か過去にあったのだろうか)、そこが大変ユーモラスであり、熱量を感じる部分でもあった。

 さて、過去に私がnoteに載せた実作に関して、私は敢えて問題文を載せていない。調べれば出てくるものではあると思うが、「文体の舵をとれ」を買った人間が参考にすることを想定しているからだ(そんな人がいるかどうかはさておき)。
 ただ、「文体の舵をとれ」は非常によいワークであり、是非買ってやってみてほしい、そういう願いを込めて、以下では問題の概略と、実作を通じて私が感じたことを書いておこうと思う。

第1章 自分の文の響き

問1 音読するための文を書きなさい
問2 動きのある出来事や感情の動きを文のリズムで表現せよ

この課題は双方とも、「リズム」という要素に主眼が置かれている。
問1では音楽的な意味合いに近い「リズム」で、問2はその「リズム」が生み出す効果についての練習である。
問1をやってみると、「口に出して読みやすい文は、黙読しても読みやすい」ということに気づいた。
とても面白い朗読漫画である「花もて語れ」でも描かれていたように、朗読することによって情景はより鮮やかに立ち昇ってくる。朗読と黙読は不可分なのだと実感した。口に出して気持ちいい文章は、黙読してもイメージを明瞭に想起させやすい。(余談だが、朗読ものだとNHKの「この声をきみに」も面白かった。数学者と朗読、というワードに感じるものがあれば見てみるとよいかもしれない。)
問2は「オチへの加速」とか「慌ただしさ」のようなものを表現したいときに向いている。荒唐無稽な流れでも、ノリで納得させられてしまう。そんな力がある文章を書きたいときに必要な技術だと感じた。

第2章 句読点と文法


問 句読点を使わずに一つの話をかけ。

 第1章でリズムを気にして書け、と言われたあとにこの課題がくる。人生で一回も書いたことのないタイプの文体で、かなりキツかった。
 基本的には、文章の1ブロックの後半部分を、次のブロックの前半部分とするような書き方(実作を参照のこと)で繋いでいくという攻略法をとる方が多かった。
 情報を次から次へと与えて息もつかせぬまま、最後の情景へシフトしていく様子は、争乱やサスペンスのようなシーンに向いている。「自分のペースで読ませてくれない」ということがそのまま、「事態がアンコントローラブルな方向へ転がっていく」ような印象になる。

第3章 文の長さと複雑な構文

問1 一文が短い(15文字程度)語りを並べて全体を構成せよ
問2 長い一文をもって一つの語りとせよ

 問1は短文を連ねることによって情景描写を行う課題だが、形容詞や副詞を使えるだけの文字数がないので、何らかのものが何らかの動作をする/される、ある状態にある、ということでしか書きたいものを描写をするすべがない。感覚としては俳句に近い。適度な場面跳躍や映像でいうところの「1カット」で何を撮るのか、ということを意識しないといけない。これは
やっていて楽しかった。
 問2は第2章と違って、句読点は使ってもよい。でもそれでもキツかった。所感としては第2章とあまり変わらない。ただ句読点を使える分、読む側にも書く側にも息をつく暇があった。ダラダラさ、みたいなものも表現できるのかもしれない。

第4章 繰り返し表現

問1 何らかの語句を三回以上反復して文章をかけ
問2 構成上で反復を行え

 この課題はだいぶキツく、結局私は提出できなかった。
 なので、他の方の実作を見てどういう表現に向いていそうか、という話をする。
 問1は名詞や動詞、形容詞を三回以上繰り返すものだが、これはいわば「魔力」を語句に持たせたいとき使えるものなのだと思った。なんの変哲もない名詞に使えば、その名詞はエンボス加工のように浮き上がり、文章の印象を牽引していくことになる。段落が変わったとしても、我々の意識の片隅には残留した魔力によってその名詞がほのかに光り続けるのだ。
 問2は構成上の反復である。問1はなんらかの品詞単体に対しての繰り返しだが、こちらは言い回しの反復になる。まことしやかに囁かれる噂や、連日訪れる怪しげな客、不気味に繰り返される行為などが際立って描写される。同じような言い回しが繰り返されると、読者はそこに予測を行うようになるようで、「次は何が来るのだろう(あるいは来ないのか)」と思う。例えばここでうまく予測を裏切ればそれは、先へ読み進ませるための有効な推進力となるのだろう。

第5章 形容詞と副詞

問 形容詞も副詞も使わずに語りを描写せよ

 色が使えない。まずそう思った。いざ書いてみると意外といける。
 「鮮やかさ」には必ずしも形容詞が必要な訳ではないと分かった。むしろ、形容詞を安易に用いることによって、細部が塗りつぶされてしまうこともある。「赤色」は幅が広すぎて、ぼんやりした「赤色」のイメージを抱えたまま情景を想像してしまう。あるいは、書いた人間が想定している「赤色」と読者が第一に思い浮かべる「赤色」が異なっており(異なっていることの方がおそらく多いだろうと思う)、意図された情景を思い描けない、ということもある。(これが良い悪いの話はまた別の話である。念のため)
 翻って、形容詞や副詞は作中の人物の価値観を明示したいときに使えるのだと感じた。主人公があるものを「美しい」と感じるシーンがあれば、そのシーンは「主人公はこういうものを美しいと思う価値観の持ち主だ」と表出している、というように言い換えることもできる。

第6章 人称と時制


問 老女が主人公の同じ物語を二回書け。一作品目と二作品目で語りの人称を一人称か三人称で変えること。また、ベースの時制も過去時制か現在時制で変え、二回以上時間の跳躍をすること(過去→現在→過去とか現在→過去→現在とか)。

 ここから課題が段違いで難しくなり始める。そもそも課題文が長い。これでもかなり省いた概略版なので、実際の問題文を見ると面食らうかもしれない。
 書いてみた感想から言えば、「うまく書けなかったな」というのが正直なところである。場面転換の中で、時間の跳躍は特に難しいなあと常々苦手意識を抱えていたのだが、やはりかなり難しかった。
 人称に関してもコントロールがかなり難しかった。特に、時間が過去に戻る場面だと、一人称視点の場合、回想するような形で場面の転換ができるが、三人称だとそれができない。
 この課題から学んだことは、「人称によって向いていることと向いていないことがある」ということだった。もちろん、技術があればどのような人称からでもある程度語りきれるのだとは思うが、単純な向き不向きはある。
 我々が何かを語りたいと思ったとき、まず「どの人称で語ると自然か」(あるいは効果的か)を考えてから取り掛かかると、書くのが幾分か楽になるだと知った。よくよく考えると当たり前のことのように感じられるが、意識に乗ってはいなかった。

第7章 視点と語りの声

問1 ①3人以上が出てくる出来事をその誰かの三人称限定視点で書け
   ②別の関係者の限定視点で同じ物語を再び三人称限定視点で書け
問2 引いたカメラの視点で同じ物語を書け
問3 傍観者視点で同じ物語を書け(一人称または三人称)
問4 潜入型の作者視点で同じ物語を書け

 これも大変重い課題だった。合計三回の合評会を要し、最も「文章を読む目」が鍛えられた課題でもあった。
 課題中で登場する視点は、「語り手が得られる情報と持っている情報」によって区別されている。
 例えばAという人物の三人称限定視点は、「Aから見て得られる情報」、例えばAが座っている角度から見える視界にある物体と「Aの内側の声」によって構成されている。
 「引いたカメラの視点」というのは本文中では「壁に止まったハエ」と表現され、得られる情報はかなり少ない。誰かが名前を呼ばなければ別の誰かの名前を出すこともできない。「内側の声」についても、起こったことをただ淡々と記述していくことしかできないし、起きたことからなにかを推測する能力も最低限しか持っていない。
 「傍観者視点」に関してはもう少し自由で、多少の前提情報と推測能力が与えられているが、神のようにすべてを察することはできない。
 「潜入型」は神のような存在であって、物語世界すべてのことを知っている。
 この課題も第6章と同じく、「視点の種類」と「向いていること、向いていないこと」を学ぶ課題だった。
 「三人称限定視点」は特定の人物に感情移入させながら物語を進めたいときに便利だ。その人物の行動や感情の動きによって、物語が進んでいく。
 「引いたカメラの視点」は、物語の導入部でよく見る。読者に与える情報をコントロールしながら、朝目覚めたときのように、なめらかに現実世界から物語の世界へと誘導していく。
 「傍観者視点」は、物語の中心にいる人物らを相対化して、物語の中に登場人物として読者が存在するためのスペースを作ってくれる。(もちろん、必ずしも読者と傍観者の考えは一致しないし、傍観者が別軸のストーリーの主人公になることだってある。さらには信頼できない語り手にもなりうる)
 「潜入型」は、何でもできるが故に難しい。実作して便利だなと思った点を言えば「世界観のフレーバーを出しやすい」ということである。ある技術がその世界で一般的にこう呼称されているだとか、魔法は社会においてこういう位置づけだとか、そういう世界の断片を示せる。

第8章 視点人物の切り替え

問1 三人称限定視点を複数回切り替えて物語れ(切り替えは明確に)
問2 三人称限定視点を複数回切り替えて物語れ、しかし切り替えは敢えて明らかにするな

 第8章は、第7章で複数出てきた視点種類のうち、三人称限定視点の使い方に絞られた課題設定になっている。
 問1で提出された実作は、どれも「同じ出来事が複数視点で進んでいく」という構成だった。切り替えが明確に、という指定は段落付けや、スポーツの試合でターンが変わることによって実現されていた。
 三人称限定視点の得意なことは「同じ状況が立場によって異なって見える」ということだと思った。勝負事の形勢や、身分の上下、価値観の差異などを強調できる。
 問2は切り替えの境目をあえて曖昧にする、という主旨だが使いどころが難しかった。三人称限定視点が本来持つ利点を使わないので、どういったことに向いているのかいまいち分からなかった。例文として挙げられていたヴァージニア・ウルフの文章を読む限りでは、「三人称限定視点の切り替えに伴って語りの雰囲気が変わることを避けつつ、一つの出来事を複数視点から重層的に描写する」ということが可能になるのではないかと思ったが、どうなのだろうか……(原文にあたらなければ分からないのかもしれない)

第9章 直接言わない語り

問1 会話文だけで物語を構成せよ
問2 自分と感覚の違う人物の視点で物語を書け
問3 ①そのものに直接触れず人物の描写をせよ
   ②そのものに直接触れず出来事の描写をせよ
追加課題 与えられた設定をなるべく盛り込んで物語のワンシーンを書け

 「説明ではなく描写をせよ」というのは小説のお作法としてよく知られている言葉だと思う。第9章もその例に洩れず、「描写せよ」という課題だ。
 問1は私がもともと苦手意識を持っている表現だった。「キャラ付け」をしつつ、物語の設定や展開をうまく盛り込まねばならない。こういった「ダイアローグ」が果たすべき役割については、「文体の舵をとれ」と同じフィルムアート社から出ている「ダイアローグ 小説・演劇・映画・テレビドラマで効果的な会話を生みだす方法」に詳しく載っているが、「キャラクター×作品のテーマ×雰囲気」をうまく調和させるにはもっと練習が必要だと感じた。こちらにもワークがあれば良いのだが……(練習問題の類は載っていない)
 問2もまた別の観点で大変だった。おそらく、本来最も訓練になるのは「自分が相容れない人物」の視点で物語を進めていくことなのだが、書こうとしたとき、「憑依」に耐え切れなかった。憎むべき相手の理解を試みる、これは心的な負担が大きいようで、私含めほとんどの人は「自分が相容れない人物」以外の視点(単純に違う五感だったり、金銭感覚だったり)で実作を書いていた。「本当に憎いヤツ」を書きたいとき、世の方々はどういったマインドセットで書いているのだろうか……
 問3は非常に教科書的な課題だった。いわゆる「匂わせ」の練習だが、これも回数をこなさないと上手くならない類の技術で、これが丁寧だと物語全体に対してもなんだか安心感があるような気がする。「語りのうまさ」といったとき、多くの場合はこの技術を指すのではないだろうか?
 追加課題は「説明を上手く盛り込め」という課題である。SFやファンタジーなどで設定を開示したいとき、一息に書いてしまうと、そこだけ情報の密度が濃くなってしまい、ダマになる。ル=グヴィン教官はこれをそのまま「説明のダマ」と呼んで、強めに批判している。この課題は、その情報密度を上手く分散させて語りの一部とする練習である。本文中にある架空の王国についての歴史が1ページほど書かれ、課題の挑戦者はそこにある設定を上手く汲みつつ物語のワンシーンを構成する。
 会話の流れの中で、自然な形で設定を開示していくという行為には、自制心が必要であった。物語を書きたいと思ったとき、設定を考えているときが一番楽しい、そういう人は多いだろう。私もその一人である。だがその時感じている楽しさを読者と共有するためには、ちょっと我慢が必要だ。

第10章 詰め込みと跳躍

問 ここまで書いた文章の内ひとつを選んで文字数を半分に削れ

 さて、ここまでの9つの章を通じて、課題では「書く」ということを学んできた。しかし、この「文体の舵をとれ」の最終章では「削る」技術が主体になっている。
 物語の各シーンには役割があって、その役割を果たすために適切な文体を選ぶ―—その時の舵取りについてここまで学んできたが、シーンの役割をより明確にするためには「削る」というのもまた技術なのだ。描写が大事と分かっているからこそダラダラ書いてしまったり、筆が乗っているとき、勢いに任せて書いたり、そうして生じた「余分」は適切に刈り込んでいくべきだ、そう教官は書いている。
 実際にやってみると、パズルゲームのような感覚だった。ここは大意に影響ないから削って、そうするとここがおかしくなるからこう変更して……そうやっているうちに削りすぎてまた足す。そうやって全体のバランスを整えていく作業だった。仕事の発表資料を上司に見せて「パワポ20Pは長いから10Pにしろ」と指示されたときとよく似ている。論拠は明確に、本筋と関係ない枝葉の部分は分かりにくくなることがあるから必要最低限に。
 この最終課題には「むごい仕打ちでもやらねばならぬ」という題がついている。確かにむごい仕打ちではあるが、私はここに少しの暖かさを(勝手に)感じた。
 文章のどこを残すか、そう考えたとき、自然に「自分の好きな物語」とか「自分の文章の中で良いと思うところ」ということが浮かんでくる。そこには「自らの文章を愛せよ、何とか強みを見つけろ」という声がある。この課題が最終章に配置されているのはそういうことなのかもしれないと、昨日最後の合評会が終わったときに感じた。

最後に

 訳者である大久保ゆうさんのあとがきに、ル=グヴィンのエッセイ、「群れ——執筆ワークショップ論」からの引用として(ここでは孫引きになってしまうが)以下の様に載っている。

おそらく、いいワークショップとは、水飲み場にいるライオンの群れのようなものなのだ。みんなで一晩じゅうシマウマを飼って、そのあとみんなして大きく猛りながらそのシマウマを食べ、揃って水飲み場に向かい、一緒にのどを潤す。それから日中の暑いときには、ともに寝転びながら、うなったり、ハエを叩いたり、優しげな顔を向けたりする。そして一週間であっても、ライオンの群れに所属したことが、何ものかになるのである。



アーシュラ・K・ル=グウィン (著), 大久保ゆう (翻訳)(2021)
文体の舵をとれ ル=グヴィンの小説教室 P.246
フィルムアート社

 私はライオンの中に混ざっているイエネコのようなものだったので、他の参加者が皆さんの提出されたものを見ながら、うまいなあと感心しきりだった。しかしそれでも、今回のワークを通して得られたものはあったと感じたし、多少なりとも技術は向上したと思っている。
 また、書く技術に加えて、読む技術も向上したのではないかと思う。世の中で「上手い」と言われている作家がどのように上手いのかを私はあまり理解できていないと感じることが多かったが、本書はそのような航路にも舵の取り方を示してくれるものである。

謝辞


 合評会でコメントを下さった参加者の方々、そして、お忙しいなか合評会の運営をして下さった主催者の方に、この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。


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