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私のおばあちゃん(和子)の話最初の旦那(3)安定と自由って一緒になれないのだろうか



安定よりも自由を選んだ若い時の和子。

最初の旦那はちゃんとした会社で働く、真面目でいい人だったらしい。
私の今の苗字にもなっている
(小さい頃、苗字が珍しいもんだから、父が作ったのだと思っていた)
名前は、父とチイちゃんとちが繋がっていて、そんなこんなで私とも少量であるが、血が流れているということになる。

神経質で真面目な血が繋がっているおじいちゃんは、
なんとなく、話を聞くと父にも私にも通ずるものがあり、
最後に腑に落ちたり納得のいくものは、占いや精神科の診断書、母との話あいやわかってもらうことではなく、自分のルーツを辿ることかななんて思ったりもする。

「全然私のことなんて知らないじゃん!」
と神経質にたまーに反抗していた小学校5年生の私も、中学生の時にグレて壁に穴を開けたあの時の私も、何も腑に落ちなかったあの時の自分なりの闇を少しましにするとしたら、過去を辿ることがいいのかな。でも難しいよね。

そのころの親なんて、自分が一番上だとしたら、
何もかもが初めてで、自分の人生だって初めてなんだから(誰でもそうか)

「自分だって自分のことわからないのに、あんたのことなんてわかるわけないでしょ!」
と言われたことが今更ほんと、そうだよなと思う。
そんなことを言いながら、家族でいてくれたり、サポートしてくれてほんと、ありがとうねの気持ち。
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あの時の和子さんは和子さんらしくなさすぎるが、
夜の雇われでしていた水の仕事をやめ、(多分おじいちゃんともそこで出会ったのだろう)
家事と育児に専念していた。

あの時にしてはいい家に住んで、いい暮らしをしていたとのこと。

和子はじっとしていられない性格なのだけれど、この日も家で、
ある程度稼ぎの知っている旦那のお金を
これでご飯作ろうだとか、これを貯めて、旅行などのイベントも大事にしてくれていたおじいちゃんであったみたいだから、ここに行こうとか、考えていたみたいだ。

満足いくような育児にも旦那のおかげで向き合えている和子は、
こんなこと考えていたみたいだ。

「なんか、すべてわかりきっている、こんなものかと思う人生になりそうな気がする。毎日こうやって、最初は楽しかったけど、おんなじようなこと思うんだろうな。私だったらもっと稼げそう。稼げるのに何をじっとしているのだろう。子供なんて勝手に育つわ。ここからサヨナラしましょう。」

旦那はそりゃびっくりだ。順風満帆の家族生活。
妻は家にいていいよ。可愛い二人の子供。急にこの生活をやめたいというもんだから何かと思えば、「この生活が死ぬまで続くのが嫌」というのだ。

可哀想すぎるよ。当時の旦那。。
でも和子もその人生が、旦那は好きだけどそれより辛かったと話す。

「自分が自分で亡くなっていく感覚から逃げたの」とカスカスの声で、熱海で黄昏て話していた。

なんか、かっこよかったし、ふーんと言いながら、若いながらにちゃんとしてんじゃんと思ってしまう私は、このちゃんとしていない話を肯定したと非難されますか。

ともかく、急に別れを告げられた旦那は納得いかずに、田舎の家をかなりの借金をして(借金なんて返せるでしょ怖くないわと思っていたらしい変な肝の座り方をしている女)3人での暮らしを始めたらしい。

そこへ、前の旦那がちゃんとした会社に入っているから、若手の頃は忙しかっただろうに様子を見にきてくれてなんなら引っ越しなども手伝ったらしいのだ。

「ストーカーだよ!」と和子は言っていたが、感謝すべきだと孫の私でもわかる。
けれど和子はほっておいて欲しかったらしい。憎んでもいないと言っていたがどこかでみんなから見られる安定の暮らしと自分の逆行する苦しみに感じたことのない孤独を感じたのだと思う。

そんな血の繋がっているおじいちゃんとの関係が曖昧なまま、
和子はある男と出会うのだ。

盛岡(仮)という男。名前を変えるのには理由があるくらい、これまで家族の名前を使ってしまう私も私だが、使えないような男性と出会い、
和子は幸せだったみたいだし、父もだのしかったみたいだけれど、

なんだかこじれやねじれもあったのだろうなと思う。
いい思い出になるのはすべて終わりから辿るから。
次回、終わりが悲惨で虚しい、彼の話。そして元旦那の悲しい話。

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