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私というアカウント

楓です
久しぶりに書きます。
このnoteだけ読んでくれてる知り合いの方まだ会ったことない方
沢山いて、また書いてと言っていただけて嬉しいばかりです。


2週間ほど、膀胱炎と熱中症を繰り返し
メンタルも落ちて寝込んでいました
見かねた友達のお母さんが水戸まで来て
東村山まで連れ出してくれました


彼氏のモラハラがしんどくて、ちょっとそれがDVだと捉えられて、離れた方がいいとのことで

2週間、ほぼ見ず知らずの私を東村山のおうちに住まわせてくれました。



ほとぼりが覚めて、2週間ぶりに戻った水戸
ハムスターは張り切って迎えてくれて、彼氏とも冗談まで話せるようになりました


Twitterで見つけた言葉ですが、

人間関係がうまくいかないときってだいたい距離感間違ってるとき という言葉が好きで

結構そういう時は 離れます

そうしたらだいたいおさまります



現代の私たちは

自分の身体を離れてコミュニケーションを取らなければいけない傾向にあります。

特にSNSはあなたの代わりのあなたの顔
スマホは私たちの身体の一部になっています。

私はずっとLINEが苦手、もっと言えば嫌いだったのですが
この度の騒動で誰かとLINEをせざるを得なくなり

そしてまた、東村山に行ったことでいつでもLINEできるお友達が爆増しました


昔、レンタル障害者さんを借りた時に「楓ちゃんはいつでもLINEできる友達が5人増えたらだいぶ変わるよ」と言われたことをずっと大事に持ってました

約1年前「いつでも連絡できる友達は3人ほしい」というやりたいこと100リストに載っけましたが、それが直前に急に叶いました


それで思ったことですが、
これからの現代人、私たちはアカウントという最小単位となり、小さい依存先を沢山増やしていくことが重要なんじゃないかと思いました。

つまり、この人にはこの自分を見せるって自分を切り取って開示していく

たとえばLINEで、あ、これこの人に送ることじゃなかったな、言うことじゃなかったな、と失敗しても、小さい依存先が他にあれば他の人に言ってみればいい。

依存が小さければそんなに傷つかないそう思うと楽になりました

LINEが少し好きになった
友達が沢山増えた
彼氏の見方が変わった
なんと、都内でも住めるところがあると気づけた


それだけでもだいぶ楽になりました


私という生身の人間は存在するけれども、スマホと共存していくこの時代
好きな人に見せる自分、友達に見せる自分、
いろんな自分がいますけど
自分はアカウントだと腹を括って、

それでも年に1回でも月に1回でもリアルで会える人を大事にしていく

そういう作業が大事で自分を楽にしていくのかなと思いました

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