働きたくない。命令されたくない。怒られたくない。好きなことだけしていたい。金は嫌い。でも欲しい。
公園で廃棄寸前のお菓子を売り歩く可哀想な若者によく出会う。不憫だ。それでも、買わない。金が勿体無いからだ。
金の関係でないのなら、僕は彼女と世間話をして、一緒にお菓子を食べることもやぶさかではない。しかし、商売の関係となると自分の財布を守るために一線を引いてしまう。
金とは、人間関係を壊すツールでもあるのだ。
僕が友達に引っ越しの手伝いを頼んだとき、僕の父親は「そんなもんお前、日当くらい払ってやらな割に合わんやろ」と言っていたが、もちろん僕は払わなかった。逆に友達の引っ越しを手伝ったこともあったが、もちろん日当は要求しなかった。金の関係にしたくないからだ。
だから僕は金を稼ぐことも、金の関係にしたくない。会社という組織から無償で贈与されているような気分で金を受け取りたい。しかし、会社という組織にいればそうも言ってられなくなる。不愉快なことをグッと堪える必要もある。家族を食わせていかなければならないという気持ちもある。
だから、会社という関係を捨てても、自分で金を稼ぐ方法を持っている人に憧れる。とは言っても、僕がこれから新たに家族を食わせられる商売を始めるとして、新たに生み出さなければならないのは金の関係だ。
noteをマネタイズしている人はたくさんいる。もし、仮に僕がnote1本につき1万円の原稿料をもらえるのだとすれば、もう僕の家族はそれだけで食べていける。しかし、僕は自分が書く文章を読んでくれる人と、金の関係になりたくないという気持ちがある。
別に金がなくても生きていけるが、僕にはそれだけの能力も勇気もない。金は欲しい。でも、金を取ることに後ろめたい気持ちがある。だから、会社という組織の中にいつまでもい続けることになる。
そんな状況にいると、次のように問わずにはいられない。なぜわざわざ金を稼ぐなんてまどろっこしいことをしなければ生きていけないように、この社会は作られてしまったのか?
その疑問に答える方法はいくらでもあるだろうが、その社会問題を解決する方法はそんなにたくさんはない。結局、僕はこの社会をほんの僅かに改変しながら、ほとんど改変することなく、生きていくことになるのだろう。
竜巻を起こす蝶の羽ばたきは、竜巻を起こさなかった蝶の羽ばたきの中の、ほんのわずかな例外に過ぎない。
だったら、せめて、金という関係を、それでも楽しく生きてみてもいいのかもしれない。
そう言えば最近、本を書いている。8万~10万字くらいにまとめようと試行錯誤しているのだが、なかなかうまく進まず、ようやく2万字くらい書いたところだ。1000字の文章を20回書くのは造作もないが、2万字の文章を1回書くのは苦労する。本ができた暁にはアマゾンで販売しようと思っている。それで飯を食っていくつもりなんてなかったわけだが、そういう生き方にも正直憧れを抱いてしまう。
僕もそろそろ大きな声で言うべきなのかもしれない。金が欲しいと。左翼なのであんまり言えなかったのだが、金が欲しい。もっというと、働かないでたらふく食べたい。
「働く」とか「労働」とかそういうことはしたくない。でも僕は別に怠け者でもなんでもない。なんなら他人の田んぼをタダで手伝ったり、早朝から手作りのベーグルを焼いたり、隣のマンションの雑草を勝手に抜いたり、朝から晩まで何かと働いている。単に時間が決められていたり、他人に命令されたり、怒れたり、やりたくないことをやるのが嫌なのだ。
こういう文章を書くことだって、もともと僕はライターをやっていたわけで、仕事みたいなものだ。でも、別に誰に強制されるでもなく、好きでやっている。
働きたくない。命令されたくない。嫌なことはしたくない。でも金は欲しい。でも怠けたいわけでもない。人間ってそんなもんだと思っている。
31歳にもなって世間知らずのワガママだと言われるかもしれない。子ども2人もいるのに無責任だと言われるかもしれない。それは否定しない。だが、仕方ない。そう思うものはそう思う。
こういう気持ちを僕は誤魔化さないことにしようと思う。好きなことで生きていくっていうのは、馬鹿にされがちなんだけど、やっぱり憧れてしまう。
おもしろい人生がいいのだ。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!