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警備員って「バイデン殺そっかな〜♪」とか思わないもんなの?

もし僕がバイデンを乗せた車を運転することになったら、「あーこのままアクセルガン踏みして前の車に突っ込んだらバイデン死ぬかな?」と考えるだろうし、周りで警備する警察官だったら「警棒でバイデン殴ったら死ぬかな?」と考えるだろうし、なんらかの接待するポジションだったなら「おじいちゃんだし、うまくぶん殴ったら死ぬかな?」と考えると思う。

一般人を殺すのとは訳が違う。世界一の要人なのだ。サイコパスでなくても興味本位で殺したくなる人はいるのではないだろうか?

広島でやってるサミットは、何万人も警備員を呼んできて、交通規制して、ゴミ箱とかコインロッカーを封鎖して、「万全の警備」と鼻高々なわけだが、何万人のうち興味本位でバイデンを殺したがる人が数人いれば、その警備は無意味になる。

「それはまぁいけるやろ」でいくのであれば、ゴミ箱とかコインロッカーも「いけるやろ」でいいんじゃないだろうか?

コインロッカーに爆弾入れる人が現れる確率と、警備員の気が触れてバイデンをぶち殺そうとする確率なら、あんまり変わらないような気もするし。

殺意がないとしても、ぼーっと運転していてぶつかってしまうことだってあるだろうに。運転手のアクセルを踏む右足がほんの数センチ角度を変えるだけで運が悪ければバイデンは死ぬのだ。世界の行く末を運転手の右足にかけているくせして、なにが「万全の警備」だと言いたい。

もちろん警備体制とはあくまで、「警備をした」という事実を演出するためのものであることは重々承知している。それは、日本はこれだけ警備を頑張っているというメッセージであり、この人たちは警備されるに値する世界に欠かせない人々であるというメッセージだ。

政治の世界はこういうメタメッセージが飛び交っていて気持ちが悪い。バイデンが原爆資料館を40分も見学していたという報道を見ながら「40分という時間を演出することにどんな狙いがあったのか?」なんてことを考えてしまう自分が嫌になる。それを考えている時点で、政治家の思う壺になる訳だ。単に40分見学した。きっと「ほえーなんか恐ろしいわぁ」くらいしか思わなかったろうに。

そもそも戦争の悲惨さなんて学んでどうするというのか? 僕はよくわからない。まるで戦争をしている人は戦争の悲惨さを知らないかのような扱いだ。もちろんそんな訳がない。

仮にタイムマシンでリトルボーイを落とす直前に戻ってパイロットに戦争の悲惨さを訴えかけたなら、「なんてこった!戦争は悲惨だったのか!!」と大慌てでルーズベルトの元に戻って原爆投下に抗議したとでも言うのだろうか?

プーチンとゼレンスキーがいつまでもやり合ってるのは、戦争の悲惨さを知らないからとでも言うのだろうか?

だったら、ゼレンスキーは広島に来るらしいし、奴に戦争の悲惨さを叩き込んでやればいい。あいついまだに「取られた土地を取り返したいから兵器よこせ」とか言ってるらしいし。

なんとも諦めの悪い男である。さっさとプーチンに全部の土地をやっていれば、何万人、何十万人の命は救えたはずだ。キエフがウクライナじゃなくなってロシアの都市になったところで、キエフはキエフ。別にいいじゃん。

国民国家の悪いところが出ている。どっちの国に所属しているかどうかやんて本来どうでもいいことなのだ。僕は日本人だが、別に韓国人と呼ばれようが、中国人と呼ばれようが構わない。

話があっちこっちに行ってしまった。まぁそんな感じで。また明日。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!