なぜ、子どもは将来の納税者扱いされるのか?

そもそも、国家はいくら税金を手に入れようが、道路を整備する労働者がいなければ、何もできない。

だったら、将来の労働者扱いする方がまだ理解できる。

残念ながら道路を整備するようなエッセンシャルワーカーは、納税者としては優秀とは言えない。エッセンシャルワーカーの給料はほぼ例外なく安いからだ。

一方で、非エッセンシャルワーカー(≒ブルシット・ジョブ)に就く人の給料は高く、たくさんの税金を収める(場合が多い)。彼らは税金は納めるが、仕事を通じて社会の役に立っているわけではない。

つまり、子どもたちが高額納税者(≒非エッセンシャルワーカー)に育ったとしても、社会にとってなんらプラスに働かない。

それなのになぜ、高額納税者を育てることが必要だと考えられているのだろうか?

あたかも「金とは、誰かの役に立った分だけもらえるもの」であるかの如く扱われることが多い。仮にその考えが正しかったとすれば、高額納税者をたくさん育てることは理にかなっている。たくさん納税するということは、たくさん社会の役に立っているからだ。

しかし、現実はそうではない。金は単に他人を動かす権力を数値化したものだ。金は集まるところに集まり、集まらないところには集まらない。その人が役に立っているかどうかとは、あまり関係がない。

高額納税者とは単に権力を持っている人物に過ぎない。社会に権力者が増えて、誰が喜ぶというのだろうか?

「金とは役に立ったからもらえるもの」というのは、権力者の権力を正当化するためのイデオロギーに過ぎない。そのイデオロギーが浸透し過ぎているから、「将来の納税者を育てなければならない」などと頓珍漢なことを言い始める人が出てくるのだ。

同時に、このイデオロギーは、エッセンシャルワーカー蔑視と、エッセンシャルワーカーからの搾取も正当化する。「お前らが金を稼げないのは、役に立っていないから」というわけだ。本当はエッセンシャルワーカーこそが役に立っていて、金持ちの方がエッセンシャルワーカーに依存しているというのに。

そもそも、税金も、貨幣も、国家が用意した茶番劇の小道具にすぎない。そんなものよりも、僕たちの暮らしは体を動かして働く人に支えられている。

ならば、エッセンシャルワーカーを育てることが大切だ。もちろん、今のように給料が安いままだと誰もエッセンシャルワーカーをやりたがらない。だから、エッセンシャルワーカーが胸を張って生きられて、それでいて給料がもらえて、誰からも搾取されない世の中を目指さなければならない。

金を稼ぐことは偉くないし、納税することも偉くない。体を動かして働いている人が偉いのだ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!