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能力主義と効率主義と酸素ボンベ

まずはじめに一言宣言してみよう。

男女や人種によって能力に差はある。と僕は思っている。

いや、わかっている。それは機会の不平等などを経て社会的に構成された事実であって、実際の能力の差ではないという主張はもっともだと思う。

だがそれでも、仮に全男性と全女性の生まれつきの能力の平均値を出すことが可能だったとすれば、両者が完全に一致することはあり得ない。このことは疑いようがないだろう。

いや、わかっている。統計的に有意な差かどうかという観点もわかっている。しかし、僕が言いたいのはそういうことではない。

顔や性格や声や体が違うように、能力も違う。それだけのことなのに、なぜそんなに騒ぎ立てる必要があるのか? というのが、僕が言いたいことなのだ。

今の世の中では、能力は富や社会的地位にアクセスするための条件となっている(正確に言えば「条件となっているということになっている」だろうが、細かいことはここでは重要ではない)。

能力がある人は、効率的に課題を処理したり、新しいイノベーションを起こしたりして、たくさんお金を稼ぐ。能力がないなら、つまらない単純作業に取り組まざるを得ず、あまり稼げない。もちろん努力で生まれつきの差を逆転させるべく能力を磨くことはできるものの、それでも生まれつきの能力の影響は大きい。

今の社会通念はこんなところだろうか。

この社会通念からすれば、男女に能力の差はないという結論が出てくるのは仕方ないことだと言える。仮に女性全体は生まれつきなんらかの能力が劣っていることがわかれば、それは女性全体が富や社会的地位へアクセスするにあたって不利であることを意味する。ならば、「そうではない」という証拠を集めて、逆の証拠を無視せざるを得ない。そして、特定の証拠を無視する態度は、周りから見れば宗教的妄信に見えるわけだ。

僕は疑問を抱かずにはいられない。能力の差によって富や社会的地位へのアクセスを決定されないのであれば、能力の差なんてどうでも良くなるのではないだろうか? 能力の差がどうでも良くなれば「生まれつき違うのか?違わないのか?」という議論も、「ワンピース強さ議論スレ」みたいなインターネットの場末で提供されるくだらない党派主義者のおつまみに成り下がるのではないだろうか?

僕は能力があろうがなかろうが、好きな人が好きな仕事ができる世の中の方がいいと思っている。今の世の中で、能力がない(ということになっている)人を採用できない理由は、その人を利用して効率的に金を稼ぐことが最優先事項だからだ。逆に言えば、効率的に金を稼ぐ必要さえなければ、能力がない(ということになっている)人を採用しても問題はない。

「金」というファクターを取り除けば、僕たちの社会が必要とする労働量はそこまで多くないことに気づく。必要とする労働量がそこまで多くないなら、時間あたりの生産性を重視する理由が消えていく。

時間あたりの生産性を追求することを至上目的とする考え、すなわち効率主義は現代の宗教のうちの1つである。よく考えてみれば、そうすべき理由は金以外にはないのだ。人間の生産性を考えれば、こんなに働かなくても人類全体を食わせていくことは可能であることは明らかである。それもかなり余裕をもって。余裕があるのなら、時間あたりの生産性を追求する必要はない。好きな人が好きなときにダラダラとやればいいのである。

仮に、24時間の全てを生産のために費やさなければ人類が生存することすら難しいのであれば、生産性を追求すべき理由は理解できる。だがそうではないのだ。人は酸素がなければ生きていけないが、だからといって僕たちは日がな一日酸素ボンベを作り続けているわけではない。しかし、今の社会でやっていることは事実上、永遠の酸素ボンベ作りなのだ。

酸素ボンベがそんなに必要ないと気づいたとき、つまりそこまで生産する必要がないと気づいたとき、能力の差とか、頭の良さの差といったものは、「頬っぺたにホクロがついてる」といったレベルに成り下がる。「男女どちらの方がホクロができやすいか?」なんて誰も気にしないのだ。

「頭のいい人の特徴」みたいな動画はよく盛り上がる。例えばこういうのだ。

頭がいいということは効率的に生産に貢献できる能力を有していることを概ね意味している。例えばこれらの動画を見ている人は恐らく、ひろゆきやダイゴよりは富や社会的地位という点では大きく劣っていることだろう。

だが、この動画を観て、自分はひろゆきやダイゴと同等までは言わないものの、少し劣るくらいの頭の良さを有していると確信する。そして「本来、自分はひろゆきやダイゴに近い富や社会的地位を手にするはずの人間なのだ」という自意識を手に入れる。

それもこれも、頭の良さ(≒能力の高さ)が富や社会的地位を決定すると思われているからこそ生じる痛々しい事態なのだ。

もうやめようぜ、マジで。能力があるとかないとか、効率がいいとか悪いとか、もうどうでもいいやん。



いやほんと、世知辛いね。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!