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ブルシット・ジョブ理論そのものがブルシット

‥という小学生でも思いつくような低レベルな言葉遊びで悦に入る人はブルシット・ジョブを誤解しているので、ブルシット・ジョブの提唱者デヴィッド・グレーバー信者であり、ブルシット・ジョブ博士である僕は、その誤解を解いてみたい気分になる。

誤解を解こうとして解けたことはこれまでの人生でほんの数えるほどしかない。それでも「誤解は解けるものだ」という信念は魅力的で、僕を捉えて離さない。やってみよう。


誤解1:「本人がいいならそれでいいじゃん?」という誤解

これに関しては、この引用だけで誤解を解けるのではないだろうか?

自分は世の中に意味のある貢献をしていると確信する人間に対して、本当のところきみは貢献なんてしていないよとあえて語るつもりは、ここでは毛頭ない。

デヴィッド・グレーバー 『ブルシット・ジョブ』岩波書店

そう。ブルシットジョブの定義は、あくまで「本人が、価値がないと思うかどうか」に委ねられる。

本人が満足するなら、ブルシット・ジョブ理論さんサイドは「別にいい」のだ。あくまで、社会にとって価値がないと本人が感じている仕事を、ブルシット・ジョブと呼んでいるのだ。

そもそも「価値」とは万人に共通する尺度ではない。その気になれば「宇宙の営みは全て無目的なのだから、米農家の仕事は無価値」と主張することも可能だ。だから、自己申告を基準にしているわけだ。


誤解2:「は?金を稼ぐためだろ?」という誤解

ここが一番大きな誤解だと思う。ブルシット・ジョブ理論がいう「価値」とは、「金を稼いで家族を養うこと」や「会社が金を手にして、会社が存続すること」を意味しない。

以下の記事は、この点を誤っている。

一部引用する。

「自分の仕事が役に立たない」と回答したEUの労働者は、2015年で全体のたった4.8%だった

これは明らかに質問が悪い。「金を稼いで会社を存続させることに役に立つ」「自分や家族の食い扶持を稼ぐことに役に立つ」という意味なら、そりゃあ役に立つだろう。このアンケートには、何の意味もない。

もちろん家族を養うことは大事なことなので、「これも価値のあることだ!」という主張には全面的に同意する。個人や会社が金を稼いで、家族や従業員を食べさせていきたいと考えるのは、至極真っ当なことだ。

しかし、ブルシットジョブが問題にしているのは「なぜ、家族や従業員を食べさせる手段が、(社会にとって)無価値な仕事ということがあり得るのか?」だ。

お金とは「価値のある貢献に対する報酬」としてもらえることになっている。ならば、ほとんどの仕事は「(家族や従業員以外の)社会にとっても価値あるもの」でなければおかしい。「家族を養うために、価値のある仕事をしなければならないから大変だ!」と労働者が苦悩するなら筋が通っているが「家族を養うために、無価値な仕事をしなければならないから大変だ!」と苦悩するような社会は、何かがイカれている。全く無価値な社会とまでは言わないものの、明らかに諸手をあげて賞賛できるような社会ではない。

その方向性でアンケートを取ったところ、40%近くの人が「自分の仕事には価値がない、世の中に意味のある貢献をしていない」と答えたらしい。10%くらいならば、避けられないイレギュラーと受け止めることもできるが、半数近くが、自分の仕事には価値がないと考えているのだ。宇宙人の気持ちになって地球人を眺めてみよう。「地球人、バカじゃないの?」と思うだろう。普通。


誤解3:「無駄なように見えても、ちゃんと役に立っている」という誤解

これに関しては、まぁ神学的な議論に突入していくので、デリケートな問題だが、40%もの人が自分の仕事は役に立たないと感じているにもかかわらず、本人はその価値に気づいていないということがあり得るかどうかは疑問だ。

というかツイッターを眺めてみよう。「無駄な仕事ばかりだ」とか「あの上司は仕事していない」とかみんな愚痴ってるじゃん? それが本当は役に立っていると本気で思うのだろうか? たぶん、実際に無意味な仕事をしているのだよ。


誤解4:「じゃあ努力して価値のある仕事をしろよ?」という誤解

これは意識高い界隈の人によく見られる反応だが、これは一理ある。確かに、「俺の仕事ブルシットジョブなんだよねぇ…」とぼやく人に対しては「は? じゃあ価値のある仕事に転職しろよ?」と反応するのは理にかなっていると思う。

個人のレベルではそれが正しい。だが、ブルシット・ジョブ理論が問題視しているのは、社会のレベルなのだ。

要は「40%の人が自分の仕事を無価値だと感じている社会って、やばくない?」ということを言っているのだ。

もちろん「この社会で構わない!」と主張することも可能だ。あるいは「仕方ない!」と主張することもできる。「40%もの無価値が発生することもあるものの、これ以上社会を効率的にすることはできない」という判断もあり得ないことはない。

だが、皮肉だ。資本主義社会とは(社会主義や共産主義と比べて)効率的な社会だと想定されてきた。しかし、実際はそうではない。少なくとも40%もの労働が無駄になっているわけなのだから。


誤解5:「お前はYouTubeも桃鉄も少年ジャンプも要らないってことだよなぁ?」という誤解

これは誤解1と共通するのだが、ユーチューバーが自分の仕事を無駄だと思っていない限り、定義上それはブルシット・ジョブではない。それに、「観て楽しい」というベネフィットが生まれているなら、それはブルシット・ジョブであるとは言い難い。ブルシット・ジョブはほとんどの場合「誰かを楽しませることもなく、役にも立たない仕事」なのだ。


結論:人の意見を変えるのは、むずかしい

あれこれ書いてきたけれど、たぶん僕が想定する誤解している人はこれを読んでいないし、仮に読んでいるとしても納得していないだろう。脳内にあれやこれやと反論が渦巻いているに違いない。その反論に対してさらに反論することは造作もないが、僕が躍起になって反論している頃、その相手はパフェでも食っているだろう。

分かりやすい主張をすれば、すぐさま反論される。反論を予期して緻密にロジックを組み立てれば、最後まで読まれない。

そういうものだ。人の意見を変えるなど、ほとんど不可能なのだ。

はぁ。辛い。

でも、言いたいことは言えたのでスッキリ。

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