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「お前ほんまに読んだか?」的「いいね」についての一考察

「いいね」をつけてくれた人がどんな人なのかを知るために、その人のページを覗く。

するとその人のページでは、自分と真逆の主義主張が展開されていることに気づく。僕がその記事でボロクソに書いたような典型的な人物だったりすることもある。

お前ほんまに読んだか?」という感想を抱かずにはいられない。そんな経験、皆さんにもないだろうか?

いや、別に構わないのだ。読まずにいいねしてくれても(いいねが増えると、なんだかんだ嬉しいし)。それでも、ここには考察すべきなんらかの現象が起きているように感じる。

注意深く観察していると、「お前ほんまに読んだか?」的「いいね」(以後、「おまホンいいね」と呼ぶ)には、いくつかのパターンがあることに気づいた。

1つ目のパターンは、お金をテーマにした記事にいいねをしてくる投資系のアカウント。「2022年7月の収益率云々‥」的な記事を書いている人だ。ゴールドラッシュで最も儲けたリーバイスに続けとばかりに、儲けたい人の周りで商売をすることで儲けようとする、情報商材系のアカウントに見える。

恐らく彼らは「投資」とか「不労所得」とか「お金」とかいったキーワードで検索をし、出てきた記事を手当たり次第におまホンいいねすることで、閲覧数を稼ごうとしている。

これはまぁ、どこにでもいる存在であって、いちいち気にするまでもない。

しかし、次のパターンは、僕にとって看過し難い現象だ。

2つ目のパターンは、意識高い系アカウントによるおまホンいいねだ。「思考し続けなければ奴隷になる」「会社員は終わり、実力主義の世界が来る」的なことを発信する人たちだ。

これ自体は不思議な現象だ。ある意味僕はこういう人たちとは真逆の主張をすることが多い。それなのに、なぜいいねされるのだろうか。

恐らく、見出しや文章を単語レベルにまで分解し、読み手にとって都合のいい解釈を構築するという工程が行われているように見える。

この記事なんてまさにそういう実例だった。

タイトルだけ見れば「転職サイトではなく、自分のスキルやブランドをSNSを通じて発信すべき! 欧米ではそういう仕事探しが当たり前になっている!」的な意識の高い記事であるように見える。

これは僕なりのちょっとしたミスリードであって、実際は全く違う角度から転職サイトを批判しているのだが、おまホンいいねをした人は、恐らくそこまで読んでいない。

たしかに、自分の理解できるレベルに言説を矮小化するのは人の常だ。それでも、ねじ曲げの度合いが高すぎるように思える(もちろんこれが僕の勘違いということもありうる。真逆の意見にも寛大な姿勢を見せる人なのかもしれないし、僕の記事によって価値観を大きく転換させたという可能性も、ゼロに近いがゼロではない)。

フィルターバブルの進化版だ。貪欲なフィルターが外側にある言論を強引に自分のフィルターの中に取り込む。言論の植民地主義的な現象が起きている。

もちろんこの指摘は、Twitterのクソリプ現象にまつわる言論でよく見るものと同種のものだ。しかし、Twitterのクソリプは「攻撃したい」という欲望に従った曲解と無理解による的外れな批判に帰結するのに対し、オマホンいいねは「共感したい」「自分と同意見の人に出会いたい」という願望による肯定だ。

実際のところ同意見ですらないというのに、同意見であると思い込まれて、共感される。メンヘラ彼女に付き纏われるのはこんな気持ちなのだろうか。

この現象は、読解力不足という原因に帰することは難しい。逆に読解できないものを、無理やり1つの論理的な解釈に再構成するという、別種の読解力がここでは発揮されている。

読解力の暴走により誕生する、スライムのように全てを飲み込む貪欲なフィルターバブル。これは新たなコミュニーケーションのバグかもしれない。

誰しもフィルターバブルを持っている。そして、いつでもスライム化する恐れがある。取扱注意だ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!