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全てが賃貸マンションと駐車場になる

駅前の古ぼけた整骨院が取り壊されて更地にされた後、また新しい新築工事が始まるときのワクワク感は、たいてい「あ、これ大東建託の賃貸マンションだ‥」と気づく瞬間までしか持続しない。あるいは「あ、タイムズだ‥」というパターンもあり得るだろうか。少なくとも、スペインバルや雑貨店、ケーキ屋さんがオープンすることは稀なのだ。

郊外に暮らす人間は、そうやって期待を裏切られるのが常である。

親から相続した土地で、お好み焼き屋を始めようとする人は少ない。朝から晩までお好み焼きのことを考えなければならなく上に、大して金にならないからだ。だから人は放置するか、賃貸マンションか駐車場を作る。何もしなくても金になるからだ(もっとも業者に搾り取られるだけで金にならないことも多い。投資マンション業者のビジネスモデルは投資収益の話題にオーナーの意識を逸らすことで、ぼったくり建築の価格をしれっと通過させることにある)。

サービスを提供する人よりも、ピンハネをしている人の方が金を稼げる。そんな状況で誰がサービスを提供するだろうか? 

そしてサービスを提供する人はどんどん減っていく。気づけば誰もサービスを提供しなくなり、僕たちの手元には何の役にも立たない金だけが残る。そんな未来が待っているような気がしてならない(マンションや駐車場も一種のサービスという反論は無視する)。

こんな当たり前のことを、僕たちは忘れているような気がする。

金を稼ぐことばかりにフォーカスが当たった結果、サービスを提供することそのものの価値が忘れ去られてしまった。おにぎりを握ってくれるお母さんは金を一切生み出さないが、お母さんしかおにぎりを握ってくれないのだ。たこ焼きは300円で買えても、いつもたこ焼き屋がそこにあるとは限らない。

金を稼げなくてもそこにあって欲しいものは多い。公園に、トイレに、街路樹に、田んぼに、駄菓子屋に、やっすい立ち飲み屋や定食屋。謎の独自技術を持っていて日本経済に欠かせない役割を果たしているくせして大手メーカーに買い叩かれて儲けが出ないボロボロの町工場。彼らがいなくなったら困るのに、彼らの懐事情は決して明るくない。

無論、僕はこの記事で「買って応援!」みたいな薄っぺらい処方箋を書くつもりはない。これは社会システムの問題だ。この前、ネオリベっぽい知識人が「脱成長を目指したら金利に食い潰されるから無理」と言っていた。それはその通りなのだけれど、実際、金利に食い潰されそうなところギリギリで結果的に脱成長している事業者は多い。僕には金利が諸悪の根源であるように思えるのだがどうなのだろうか。

金利というのは広い意味で賃料も含まれると思う。賃料や金利といったみかじめ料のせいで、僕たちは苦しめられていながら、みかじめ料のない世界を思い描くことができない。

一方で、資本がないとデカいビジネスはできない。資本には必然的にみかじめ料がかかるので、金利がないと規模の経済は回らないことは確かだ。ただ、かつてのイスラム商人のやり方やヤニス・ヴァルファキスのような左翼の経済学者はそういう矛盾に対して回答を与えてくれているわけで、その声にもう少し耳を傾けてもいいと思う。

あと、僕が固執するベーシックインカムも、1つの回答たり得ると思う。人は不労所得のためにみかじめ料を追求するわけだが、誰しもが不労所得を得られるなら採算度外視でお好み焼き屋をオープンすることができるのだから。実際、お好み焼き屋をオープンしたくても、採算の観点から諦めている人は多いように思う。

なんにせよ、僕は賃貸マンションや駐車場まみれの街に住みたいとは思わない(これらもサービスを提供していると言えば言えるわけだが、僕に提供してくれているわけではない)。

それに、どうせ車も人口も減っていくのだ。これらが不良資産になる未来は避けられない。今のうちに経済システムをどうにかしたいところだが、結局、資本主義の終わりよりも世界の終わりを思い描く方が容易いのだ。

息子よ。僕は君に賃貸マンションを残すべきか、それとも別の世界を残すべきか。後者を残したいけれど、簡単なのは前者のようだ。

あー。辛い。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!