誰かの既得権を壊す競争は欲しいけど、自分の既得権を壊す競争はいらない

それが僕たちの本音。だから独禁法と特許法が同時に存在しているわけだ。

誰かがうまい汁を啜っているのを見れば独禁法に思いを馳せる。自分がうまい汁を啜っているときは特許法に縋り付く。不当な利益と正当な利益の間に境界線などあるはずがない。

誰かにとっての既得権益も、本人にとっては正当な権利だ。権利だから当然、守ろうとする。そして既得権は盤石なものとなっていく。

既得権の甘い汁を吸う人物の論理的バックボーンとなっているのは「受け取るに値する正当な利益が存在する」という前提だ。そして既得権の恩恵にあずかれない人物を「努力不足」「実力不足」と見做す。これはどう見ても実力主義のイデオロギーに由来する。

実力主義とは、たまたま存在する格差を「これは実力による正当なものである」と主張するためのイデオロギーだ。

ならば、実力主義を捨て去ることが、既得権を壊すための最短ルートであるように思えるのだが、どうだろうか?

実力主義のイデオロギーによれば、実力主義の評価制度がなければ人は頑張らないということになっている。つまり、人参をぶら下げられることが、人類の繁栄には欠かせないというわけだ。もちろん、この主張はかなり怪しい。

特許法がなくても、人は車輪も、火薬も、羅針盤も、パンのレシピも発明した。パンを発明した人や、車輪を発明した人に特許権が付与されていたなら、今頃ジェフベゾスとは比にならない大金持ちだろう。実際、大金持ちにはならなかっただろうが、それでもパンも車輪も発明された。

特許法はイノベーションを促さないし、むしろ阻害している。特許申請数と経済成長率は反比例しているらしい。ライト兄弟が裁判に人生の半分を捧げなかったとすれば、もっと素晴らしいアイデアを世界に残していただろうに。

そもそも過去の貢献に対して利益を与えようとすること自体がイカれている。その発想でいけば、必然的に世界中の母親が億万長者になる。大手企業の役員たちにトイレトレーニングをした母親がいなければ、会議室は糞尿まみれになっていた。全てのビジネスの基盤には母親のトイレトレーニングがあるのだ。実際は、トイレトレーニングに対して報酬は与えられないが、母親はトイレトレーニングをしてくれる。

考えれば考えるほど、実力主義を捨て去るデメリットは存在しない気がする。能力に応じて貢献し、必要に応じて受け取る。それで解決。

ユニバーサルベーシックインカムは世界中の人に既得権を与える営みだ。その結果、既得権は消える。それで解決。

誰かが得してて、誰かが損してるとか、そういう発想を植えつけない方がいい。子どもはそんなことを気にしない。わざわざ大人が丁寧に教えるのだ。

うん。教育が悪いよ、教育が。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!