世界を好みの形に変えてる間におじいさんになっちゃうぞ
リコリコの最終話。世界を変えようとするテロリストに対して、主人公の千束が放った言葉が、タイトルの言葉だ。
千束はかわいい。でもこのセリフは、すんなりと受け入れることができなかった。
言わんとすることはわかる。そんなことよりも今の世界を受け入れて好きなことをやっている方が幸せだという理屈も理解できる。
だがそれでも、あからさまに現状維持を肯定しすぎている。僕は千束の、権力を無視してすらもなお好きなことをとことん追求するアナーキーなところが好きだったというのに、これではまるで権力の犬ではないか。
テロリストと信念の違いがあって、そことぶつかることは理解できるが、初めから革命的な行動を全否定するような姿勢には納得できなかった。
労働組合に参加するくらいなら、ディズニーランドにでも行ったら良い‥そんなノリだ。いや、そういう生き方があっても構わないのだけれど、他の生き方を否定するようなことを言って欲しくない。
ふと、攻殻機動隊の第一話で登場する、僕が大嫌いなセリフを思い出してしまった。
自己責任論的なネオリベを突き詰めたとき、こういうセリフが出てくる。僕は社会に対して不満を垂れ流して、誰かに救いを求める生き方があっても良いと思っている。
まぁTwitterでひたすら文句を垂れ流している人が気持ち悪いのも理解できる。だが、そういう人もネットの外側では誰にも文句を言えずにせっせと働いていたりするのだ。ネットの中で不満を発散させるくらいなら、現実で現実的に文句を言う方が良くないだろうか?
かつてのインディアンや黒人の奴隷に「世の中に不満があるなら云々‥」「世界を好みの形に云々‥」という言葉を言ってみればどうなるだろうか。奴隷労働に楽しみを見出そうとする奴隷が出てきて、そいつらが他の奴隷に対して説教をしていそうだ。
奴隷道徳は権力者側に都合がいい。もっとふざけて、好きなことをしつつも、戯れに社会を変えたっていいのさ。欲望のままに、欲望をぶちまけようぜ。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!