「揚げ足をとるな」「屁理屈を言うな」と言われたときに反論する方法

子どもの頃からよく言われた。大人になってからもよく言われる。そして、言われる度にムカつく。

なぜムカつくのかを考えて、はや20年ほど、ようやく対処法を練り上げることができた。それをここで発表しようと思う。


なぜ、これらの言葉が卑劣なのか?

「揚げ足をとるな」「屁理屈を言うな」

これらの言葉は、事実上、次のような言葉と同義語だ。

「黙れ」「私に口ごたえするな」「私の方が偉いのだから私に従え」

つまり、権力関係の表明に他ならない。

これらの言葉の卑劣なところは、実際は権力によって命令をしようとしているのにもかかわらず、「あくまで対等な議論をしている」「論理的に議論をしている」という建前で覆われていることだ。

社会では、権力を振りかざす行為は忌むべきものであり、できるだけ議論や論理で人を説得することが好ましいと考えられている。

しかし、明らかに権力の方が簡単で、楽だ。頭を使う必要もない。「やれ」と言えばいいのだから。一方で、論理や議論は人をコントロールする力がない。

人は欲張りだ。「権力を振りかざす人ではない」という評判を手に入れたいし、同時に人をコントロールしたい。

「揚げ足をとるな」「屁理屈を言うな」といった言葉は、2つの効用を一挙両得できる言葉なのだ。だからこんなにも使い勝手が良く、あらゆる場面で使用されるわけだ。


これに反論するには?

簡単だ。まずは、建前を引き剥がせばいい。

相手「揚げ足をとるな」
自分「それは、『黙って言うことを聞け』と言う意味ですか?」

ほぼ確実に相手は建前を維持しようと努めるだろう。

相手「いや、そうは言ってないけど‥」

ここで相手は権力関係を明白に否定する。これは「あくまで対等な議論である」と、相手に宣言させたことに等しい。ならば、あとは簡単だ。議論すればいい。

自分「なら、『揚げ足をとるな』ではなくて、僕が言っていることのどこがおかしいか説明できますよね?」
相手「いや、だからやなぁ‥」

しばらく議論を続けると相手はこう言うだろう。

相手「もうええわ! 好きにしろや!!」


議論など、存在しない

そもそも、僕たちの社会で起きている議論はたいてい、マックス・ウェーバーが言う神々の闘争だ。

要するに「俺が好きか、嫌いか」「気分が乗るか、乗らないか」といった感情同士のぶつかり合いだ。しかし、そういった、感情を直接的に表明することは忌避されているので、人々は感情を論理でもっともらしく粉飾して議論している。

感情を論破することは不可能だ。だから命令や権力が存在するのだ。

裏を返せば、命令や権力を否定した瞬間、ほとんど相手をコントロールすることは不可能なのだ。


これを実践するとどうなるか?

今日の朝思いついたのでまだ誰にも試していないが、たぶん嫌われる。

嫌われてもいい人にだけ、実践しよう。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!