見出し画像

後攻人間、先攻を取りたい

SMAPがまだ活動していた頃。中居と、TOKIOの城島と、V6の坂本という3人のリーダーが一堂に会する企画があった。何が起きたかと言えば、それは「誰も話し始めない」という事態だった。

その状況を中居が次のように分析した。「そうか、全員が後攻なんだ」と。

おそらく中居の意図するところは、話を切り出す人や真っ先に意見を出す人が先攻で、先攻を受けてなんらかの反応を示す人が後攻ということだろう。

そういう意味では、僕の基本的なスタンスは後攻だと思う。僕は自分から話を切り出すことは稀だ。誰かの話題に乗っかることしかできない。あるいは、その状況から関連性のある話題しか切り出すことができない。

例えば、ゴッホのひまわりのレプリカが目の前にあったら、ゴッホ展を観に行ったときの感想を話し始めることは可能だ。しかし、ひまわりが目の前にない時に「この前ゴッホ展にいってさー」と切り出すことができないのだ。

そんなことをしようものなら、もう1人の僕が次のように語りかけてくる。「なんで今その話したん?」と。そして「いきなり語り始めたということは、それだけ面白い話ってことよな?」とプレッシャーをかけてくる。

当然、僕はそんな高いハードルを飛びたくはない。しかし、ゴッホのひまわりの話題を切り出すのに自然なタイミングが訪れたのならハードルは下がる。「あくまで関連性のある話題を切り出しただけ」という体裁を取ることができ、もう1人の僕のチェックも甘くなるのだ。

(ちなみに僕はゴッホのひまわりを見たことはないし、ゴッホ展なるものに行ったこともない。)

そんな風に考えていると、どうしても後攻にならざるを得ない。誰かが何かを話し始めるのを待ち、それに関連する話題で応答するのだ。

「昨日なーこんなことがあってなー」と切り出す人は、すごいと思う。僕からすれば、まるで天地創造を行う神だ。その話題を繰り広げる全責任を負うのだから。

ただ、後攻にも利点はある。それは、先攻になったときに不意をつけることだ。普段、後攻をやっていると、まるで自分の意見や意思がない人間であるような印象を周囲に与える。しかし、僕は意見も意思もある。稀に意見や意思を表明したときに、普段先攻の人間よりも、重みを持った言葉として相手に受け取られる(ような気がする)。

つまり、沈黙は金。沈黙から続く言葉がプラチナというわけだ。

あれこれと交渉をする場面なんかでは、割と後攻人間は有利なんじゃないかと感じる。とは言っても、世の中には後攻人間の方が多いと思う。体感的に7:3で後攻多数くらいだろうか。

ただ、後攻に染まり切って、先攻を切ることができなくなった人や、全く意志や意見を持つことをやめた人は、プラチナの言葉を手にすることはできない。

自画自賛っぽくなってきたが、僕だって自由自在に先攻と後攻を行き来できるわけではない。先攻を切り出すことに失敗した経験も多い。

そういえば明日僕はとある人に対して、先攻を取ろうと思っている。この天地創造の営みは、吉と出るか凶と出るか。神のみぞ知るとか言われても、神になろうとする僕には関係ないね。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!