見出し画像

ここが地獄じゃあるめぇし【雑記】

意思決定の量が多すぎると人間はダメだ。一定程度、日常はルーティーン化していて欲しい。出版社を始めるというのは初体験の連続であり、なにかをルーティーン化するまでは時間がかかりそうだ。

noteは、ほぼルーティーンと化しているわけだが、文章を書くというのは完全なルーティーンにはなりえない。これまでにない文章をひねり出す以上は、なんらかの思考が必要になる。僕が欲するのは無思考で取り組めるルーティーンワークだ。

きっと発送作業や請求作業みたいなものが日常化していけば、それがルーティーンになるんだろうと思う。残念ながら、今はまだそこに向かう途中段階である。

何事も大変なのは最初。最初を乗り越えて、少しずつできるようになれば楽しくなるのだ。きっとね。

大言壮語を吐いている僕だが、なんだかんだいって自分はできないことが多いのだと気づかされる。

手続き系は苦手だし、人とのコミュニケーションも苦手だ。いろんな制度のことを調べるのは億劫になるし、書店の人と話すには心労が絶えない。ラフに話すのは好きなんだけどね。こちらからぐいぐい話しかけるのは苦手なのだ。そういえば記憶力も悪いし、方向音痴で、貧弱で、車の運転も下手だ。

でも僕は、自分がダメとか、ダメじゃないとか、そんなことを考えなくて済む世の中をつくりたいんだよなぁ。できないことばかりを数えて追い込んでギスギスしちゃうよりも、まず誰もが無条件で受け入れられる。期待もするし、信頼もするけど、裏切られたとしてもすべて受け入れられる。そんな社会の方がきっとうまくいく気がする。勘だが。

僕は甘い考えなのだろうか? きっと見る人が見れば思春期をこじらせているように見えるだろう。実際こじらせていると思う。既存の現実を受け入れて生きていくことを大人と呼ぶのなら、僕は永遠に思春期のままだ。

どんなことになっても死ぬよりはマシだろうと思って、僕は出版社を始めることにした。死ぬこと以外はかすり傷だ。とはいえ、かすり傷も痛い。

僕はどうやら少し気が滅入っている。リラックスしよう。気持ちを切り替えよう。病みnoteと共に自分の闇を放り投げて、空っぽになろう。そうすればなんとかなるんだろうか? いや、なんとかならないかもしれない。わからない。だが、最終的にはなんとかなるだろう。むしろ「なんともならない」ってなんだ? 帝愛グループに地下で強制労働させられるわけでもあるまいし。ここが地獄じゃあるめぇし。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!