その美しさをわかっていないのは、僕たちの方だった。

生後5ヶ月の息子と妻と、水族館に行った。行く前は「まだこの子にはわからないだろうなぁ。親の自己満足なんだろうなぁ。」なんて話していた。

水族館に到着し、中に入る。まず僕たちを迎えてくれたのは、たくさんの魚たちが踊る海のトンネル。さて、息子の反応はどうだろうか。と、様子を伺ってみる。

すると、どうだ。目をキラキラと光らせて、魚たちを見つめているではないか。哺乳瓶を欲しがるときでさえも、こんな顔はしない。初めて見る、感動なのか、興奮なのか、きっと生まれて初めて体験する感情を味わっているような顔だった。

そうか。この魚たちの美しさをわかっていないのは、どうやら僕たちの方だった。大人になるにつれて感性が磨かれて、美しさが理解できるように育っていくと勝手に思っていたが、どうやら逆のようだ。この子がもっている、生まれたての、誰かがつくった権威や常識に縛られることのない感性‥つまりセンスオブワンダーは、僕たちからは失われてしまった。

大人の目からすれば、このトンネルには、目玉となるような種類の魚もいない。そこにいるのは、多くの人からすれば「雑草」ならぬ「雑魚」と感じるような魚たちだ。しかし「雑草」という草が存在しないように、一匹一匹の魚にも、個性があり、美しさがある。息子はそのことに気づいた。普段の僕なら、そんなことにも気づかずに、「綺麗だなぁ」とトンネルを素通りしていくことだろう。

図らずも、息子からそんなことを教えてもらった日だった。親が子供を育てるなんて、思い上がりも甚だしい。僕たちのセンスオブワンダーは、どこか忘却の彼方で埃をかぶっている。そうなってしまうと、悲しいから、埃をかぶせないように機会を提供するのが親の役目なのだろう。その工程の中で、僕のセンスオブワンダーも、輝きを取り戻せるだろうか。息子よ‥勉強させてください。

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