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キャッシュレス論争ってもうサービス終了してるの?

メイプルストーリーって僕が中学生の頃からあるけど、いつまでやってるのだろうか。僕はプレイしているわけではないけど、ファンにとっては実家のような安心感があるのではないかと思う。

一方で、サービス終了していくものもたくさんある。そのうちの1つが、キャッシュレス論争だ。

PayPayが猛威を振るっていた時は、街中でキャッシュレス論争が巻き起こっていた。僕もキャッシュレス派としてしきりに論争に参加し、現金派との戦いに明け暮れていた。しかし最近はどうやら、キャッシュレスのことなんて、誰も気にしなくなったらしい。キャッシュレス論争はサービス終了間近の過疎サービスのような様相だ。

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ではもうすっかりキャッシュレスが勢力図を塗り替えたのかと言えば、そうでもない。調べてないけれど現金比率はまだまだ高そうだ。

なんかよくわからない調査

金額ベースで日本のキャッシュレス比率は32.5%らしい。銀行振込、引き落としなんかはたぶん残りの67.5%に含まれているっぽいので、厳密な現金決済がどの程度なのかはわからないが、まぁ半分程度は残っていると考えて良いだろう。

ならば、導き出される結論は、みんなキャッシュレス論争に飽きて「好きなようにやれば良くね?」という感想に落ち着いたということだろうか。

しかし僕は最近、キャッシュレス論争に駆り立てられるような出来事を体験した。

詳しい経緯は省略するが、封筒に入った現金107万円を銀行に預けにいくというミッションがあった。結論から言えば僕はミッションに失敗したのだが、そのことでキャッシュレス論争の重要なトピック「お金のありがたみ」について考えさせられてしまったのだ。

なぜ僕はミッションに失敗したのか? 1万円札107枚を手に取った瞬間「よし、なに買おか」と意気込んだことが原因だろう。これだけあれば10枚とか20枚とか無くなっても大した問題ではないと感じてしまうのが、一般的な感覚だと思う。そして、まず目につくのは端数の7万円だ。

7万円。お前が邪魔だ。

そう思った僕は、近所の書店でPS5が再入荷されていたことを思い出した。そして、もうすぐホグワーツレガシーが発売されることも思い出した。僕はPS5を買った。

別に後悔はしていない。それでも、もし僕が大量の現金を手にしなければ、これを購入していなかったかもしれないという可能性に思いを馳せないでいることは難しかった。僕は普段、電子マネーメインで、使えない時はクレジットカードやQR決済、それも無理なら現金‥というスタイルで生活を営んでいる。

現金を持たないときは、お金のありがたみは特に感じていないが、僕にとってお金はほとんど数字と化した。必要なら使うし、必要ないなら使わない。だから、キャッシュレスによって僕の欲望が暴走してしまうようなことはなかった。逆に、現金によって僕の欲望は暴走した。

「キャッシュレスはお金のありがたみを失わせるからダメ」というのは、現金派の主要な主張の1つだ。実際のところ、キャッシュレスはお金のありがたみを失わせ、単なる数字に還元する。だがむしろそうすることで結果的に余計な出費は抑えられていたのかもしれない。

このことは僕のイデオロギーを正当化するために、意図的に導き出された結果だと受け取ることもできる。それでも僕は、お金のありがたみなるものは、別に必要ないと思う。お金よりも人のありがたみを僕たちはもっと考えるべきだと感じているからだ。

(これまでいろんな記事でお金をありがたがりすぎて、人間の労働に対する尊敬を失っていることを、僕は指摘してきたので、そのことを繰り返すつもりはない。)

あとは、現金派がよく指摘するのはセキュリティの問題だ。だが、紛失や数え間違え、クレカの不正利用をカバーする仕組みなどを考慮すれば、そのリスクはほとんどないか、逆に現金の方がリスクが高いと考えられる。

他によく見る現金派の意見として、「災害時に使えないから現金」という主張も、ある程度説得力をもって受け入れられている。僕はこの主張がどれだけ馬鹿馬鹿しいかを2つの方法で説明できる。

1つは「お前は災害時に備えて、洗濯板で洗濯をしているのか?」という反論によってだ。

もう1つは、「キャッシュレス派は、現金派よりも多くの現金を持ち歩いている可能性が高い」という指摘によってだ。こちらには説明を要するだろう。

キャッシュレス派と言えども、全く現金を持ち歩かないわけではない。僕もキャッシュレス決済が使えないケースに備えて、常に2万円をケータイカバーに忍ばせている。稀に使ってしまったときは、即座に補充するので、ほぼ常に僕は現金を2万円以上所有し、結果的に災害に備えている。逆に現金派が「ちょっと足りないからATMでおろしてくるわ」とコンビニによる状況はよく見かける。当たり前だが、災害時にATMは使えない。

また、どうせ最終的に現金のやり取りは電子データに転換される。ならば、データのやり取りのコスト面の高さを指摘することも、的外れだ。

僕が現金派の主張に説得力を感じているのは、個人情報の流出と、脱税できないことへの懸念だ。この辺りは確かにアナキストを自称する僕としては見逃せない。だが、その辺りも「まぁ別にいいか」で済む。

結果、僕はキャッシュレス派になった。別に周りの人に強制するつもりはない。好きにすれば良いのだけれどね。

とにかく僕は久々に論争したい気分だったのだ。過疎サービスであることは重々承知しているが、それでもやりたかった。まだまだバトルは受け付けているので、ぜひ皆さんも参加してみてはいかが?

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!