不機嫌な人に、場を支配させるな

ビジネスの場でも、家庭でも、友達間でもそうだ。不機嫌な人は、なぜか以下のように勘違いをしている。「私は機嫌が悪いのだから、周囲の人々はあらゆる手を尽くして、私の機嫌をなおすべきだ。それまでの間、私の傍若無人な振る舞いによって生じたあらゆる損害はすべて、機嫌をなおすのに手間取った周囲の人々の責任だ」と。そして多くの場合、なぜか周囲の人々は、その通りに振る舞ってしまうのだ。

しかし、よく考えれば、こんなに理不尽な話はないとわかる。

仮に、不機嫌の原因が、腹が減ったとか、眠たいとか、完全に本人の責任下にあるものだとすれば、周囲の人々からすればなんの関係もない話だ。

本人と周りとのやり取りが原因で生まれた不機嫌なら話は変わってくるが、それでも容認できるものではない。なんらかの衝突が生まれているのであれば、周囲の人々にもそれなりに言い分はあるはずで、どちらかが一方的に悪いという場面はほとんどないからだ。

つまり、どちらの場合でも、一方的に不機嫌な人の世話をしなければならない理由はない。にもかかわらず、なぜかこのような状況は、社会的に容認されているように感じる。今の世の中は、「不機嫌になったもの勝ち」というわけだ。

僕は、否と言いたい。不機嫌な人は、僕からすればただただ不愉快で、その機嫌をとるために右往左往するのはもっと不愉快だし、機嫌をなおして当然と思われるのは最上級に不愉快だ。そして、一度許せば、次からもそれが当然かの如く振る舞ってくる。だから機嫌が悪い人のことは放置する。問題が生じていてそれを解決して欲しいのであれば、「解決のために協力して欲しい」と頭を下げるべきだ。もちろん、その返答が「yes」であることも期待してはいけない。是が非かは、その人の態度や状況を見て、周りが判断することなのだから。

結局、周囲の人々が容認するから、不機嫌な人は調子に乗るのだ。権力者であろうが、なんだろうが関係ない。立ちあがろう。不機嫌な奴らに思い知らせよう。

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