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急募:アンチワーク哲学を解説してくれる人

アンチワーク哲学者を名乗り始めてはや数ヶ月。いまいちアンチワーク哲学界隈が盛り上がっていないのが現状である。

自分で言うのもアレだが、アンチワーク哲学は僕たちを縛り付ける人間に関する常識を覆す、革新的で、的を得ていて、時代をひっくり返す可能性を秘めた前代未聞の哲学であると自負している。アンチワーク哲学が普及すれば、この労働社会は消え去り、人間の可能性は解き放たれ、喜びに溢れた社会が実現されると思っている。実際、少ないながらに感銘を受けた旨をコメントしてくれる人もいる。

しかし、なかなか広がりを見せないのはなぜなのか? いまはシェアとバズの時代ではないのか?

おそらく、アンチワーク哲学という字面だけを見て、世のアンチワーク系思想と十把一絡げにされ「あーはいはい、そっち系ね」と一瞥されているという側面はあると思われる。

あるいは、タブーに触れすぎていることから、逆に反応されることがないのかも知れない。

僕はそういう観点も踏まえて、手を替え品を替え、できるだけわかりやすい言葉で、世間の常識を少しずつ踏み躙っていく表現を選び、工夫して伝えてきた。

しかし、今の所鳴かず飛ばずである。ならば、次の策を練ってみたい

まず、話題になることの条件とはなにか? いろんな考え方があるが、「話題になっている」と話題になることである。

つまり、まず誰かが話題にしてくれなければならない。すると「話題になった」という事実が生産される。それを見てようやく人は話題にする価値を感じる。全ての欲望は他者の欲望であり、全ての評判とは他者の評判なわけだ。

というわけで。皆さま、アンチワーク哲学の解説記事を書いてくれないだろうか(涙)

褒めちぎってくれても、淡々と解説してくれても、ディスでも批判でも構わない。ディスや批判には僕もイラつくだろうし、反論するかも知れないが、何のリアクションもないよりは罵詈雑言の方がまだいい

自分のページに普通にアップしてくれてもいいし、マガジンに参画してくれてもいい。

※参画したい方は招待するので、この記事にコメントするか、僕にメッセージください。


■参考文献

とりあえず入門編を2つ貼っておくが、別に他の記事を参照してくれても構わない。

著書の感想文を書いてくれても構わない。



僕は常々100年後の常識を書きたいと考えてnoteを更新している。人口の99%にとっては僕が書いていることは「は? あほちゃうん?」か「だからなに?」という内容だと思われるが、往々にして100年後の常識とはそういうものだろう。

つまりアンチワーク哲学は、それなりに重要なことを唱えていると感じている。

そんなことを書くと自意識過剰に陥っていると思われるのは間違いない。実際、自分が自意識過剰に陥っているのではないかという不安感は常に付き纏っている。しかし、その感覚で注意深く自分の主張を見返してみても(細かい点では改善の余地があるものの)大筋の主張は間違っていないという確信を強めるばかりなのだ。

先述の通り人口の99%は僕が自意識過剰であると結論づけるだろう。だがもし、あなたが1%の人間であるなら、そして「労働なき世界」が可能であると確信しているなら、ぜひともこのステルスマーケティングに協力してほしい。

ハッシュタグは「#アンチワーク哲学」でいこう。よろしく頼みます。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!