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誰でも簡単にnote毎日更新ができる方法を思いついた

甲子園に出たことを自慢するオッサンに、飲み屋でしょっちゅう出会う気がするのは僕だけだろうか。たいてい優勝でもなく、準優勝でもなく、1回戦か2回戦で敗退していて、大して面白いエピソードが出てくるわけでもない。ただのオッサンの中途半端な武勇伝を延々聞かされて、僕はうんざりする。

人は武勇伝を語りたい生き物であって、武勇伝を聞きたい生き物ではない。よっぽど面白い武勇伝ならともかく、凡人の中途半端な武勇伝は聞くに堪えない。ほとんどの人はそのことをよく知っていて、ほとんどの人はそこそこ礼儀正しい。だから、酒に酔ったオッサンは別として、武勇伝を披露したい衝動をグッと堪えるのが普通である。

僕だって、語りたい武勇伝の1つや2つは持っているが、お披露目の場には恵まれない。妖気と妖気の狭間の「風の傷」を狙って斬りつける犬夜叉のように、会話と会話の狭間にある隙を見つけては語りたい武勇伝を語ろうとするものの、「会話の傷」はなかなか現れてくれない。

このまま語らずして死ぬのか? そんな想いが脳裏をよぎり、諦めかけたそのとき、僕は気づいた。

noteに書けばいいのだ。

noteなら、読み手は退屈な記事はブラウザバック(死語)することができる。延々と酒臭い息を我慢し続ける必要はない。相槌を打つ必要もない。面白ければ読み、面白くなければ読まなければいい。

だから、読み手に気を遣って武勇伝を控える必要はない。

もちろん、武勇伝なんて大抵面白くないので、読まれないことは確実だ。でも、武勇伝を発散できればそれでいいのだから、読まれようが、読まれまいがどうでもいい。

そういう気持ちでネタを探していると、とあることに気づいた。自慢したい武勇伝なんて、いくらでもある。

高校生のとき数学の全国模試の結果が上位1%だったこと。電車で台湾人の女の子に逆ナンされてホテルに誘われたこと。親戚のおばちゃんに斎藤工に似てると言われたこと。たった1年の受験勉強で難関私立中学に合格したこと。春巻を美味しく作れること。大学時代のバイト先のカフェで誰よりも締め作業が早かったこと。などなど。

武勇伝を書き連ねることは、note毎日更新の最もお手軽な方法なのかもしれない。誰も読まない武勇伝という名目なら、いくらでもnoteを書ける気がする。

毎日更新するなら、武勇伝を語れ。

逆に、普通なら面白くないはずの武勇伝を面白く書けるなら、その人は書き手として本物だと思う。そういう「弘法は筆を選ばず」状態を目指すにも、武勇伝は最適な素材となる。なぜなら、武勇伝を書く行為は楽しいからだ。楽しみながら毎日書いていれば、普通ならつまらないはずの武勇伝というネタでも一級品に仕上げられる文章力が身に付いていくはずだ。好きこそ物の上手なれ、というわけだ。

腕を上げてから、過去に語った武勇伝をリメイクするのもいいかもしれない。ロックバンドなら、大抵、荒削りだった昔の方が良かったなんて言われるのだが(天体観測(2022 Rerecording Version)を僕は認めていない)、武勇伝なら洗練された方がいいに決まっている。

というわけで、僕もネタに困ったら武勇伝を書こうと思う。電車で台湾人に逆ナンされた話とかは、なかなか面白く書けるはずだ。

まぁ、そのうち、気が向いたら。年が明けたら。

雑煮食って、こたつでゴロゴロしてから、取り掛かろう。

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