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AI脅威論脅威論

AIとはなにか、AI脅威論とはなにかを、改めて考えてみた。

そもそも現代は、生活のためのテクノロジーが停滞し、収奪のためのテクノロジーが発展している時代である。

収奪のためのテクノロジーとは、広告、マネジメント、コンサル、金融といった領域をややこしく飾り立てて大義名分を与え、スマートピンハネに仕立て上げるテクノロジーを指す。

グローバルサウスの奴隷国家やエッセンシャルワーカーは財やサービスといった使用価値と価値を生み出すが、そのうちの価値の部分は広告で雪だるまのように膨らませられる。ただし価格は価格によって循環論法的に決定され(高いからそれはいい物なのだ!)、それは前例として機能していく。そして雪だるま式に膨らんだ価値の外側から広告産業と金融、マネジメント、コンサル、ITがゴリゴリとかき氷にして味わっていき、出涸らしだけが奴隷国家とエッセンシャルワーカーに返される。

現代のテクノロジーとは、かき氷を食べたい人々に、かき氷を食べる大義名分を与えるためのテクノロジーであり、かき氷にありつきたい人々を互いに競わせるための軍拡競争に貢献するテクノロジーでもある。その軍拡競争は泥沼化し、ブルシット階級すらも被害者ヅラをし始めるくらいに拡大している(まぁ実際、被害者ではあると思う)。

AIはそこに登場した。すでに大義名分を与えられ過ぎているブルシット階級は、自分たちが財やサービスを生み出していると勘違いするまでに至っている。AIは確かにスマートピンハネを自動化することが可能である。故に、ブルシット階級は自分たちの失業を恐れ始める。そして、ついでに被搾取階級も失業するという言説を流布し始めた(ただし実際は、被搾取階級の仕事を自動化することは不可能である)。

軍拡競争的テクノロジーは相互にブルシットを加速させる方向にしか働かず、ますますブルシット階級全体は馬車馬のように働き、ブルシット階級全体による搾取で被搾取階級がますます干上がりつつある。脱被搾取階級を目指すために皆が大学を目指すブルシットなプロセスすらもブルシット階級の搾取対象となり、もはや誰が誰から搾取しているのかわからないほどにテクノロジーは発展してしまった。

では、実際にAIはブルシット階級のどういう仕事をどういう風に変えるのか? 個別に考えてみたい。

まず広告産業である。GoogleやFacebookによる監視資本主義は「大衆はプロパガンダに騙されている」というプロパガンダで、稲盛和夫や松下幸之助を気取った人々を騙すことが、その本質である。AIによって行動履歴から購買行動を予測してそれを売るわけだが、それを買うのはスーパーでそろばんを弾く主婦ではなくおもちゃのお財布を与えられた経営者気取りのおじさんたちである。故に朝貢貿易的な儀礼ごっこ遊びで場は埋め尽くされている。ただしこれまでなら広告屋がわざわざパワーポイントと引き換えに朝貢貿易を行っていたところを「AIが言ってますから!」の一言で托鉢ができる未来を、広告屋は夢見る。もちろん、実際の購買行動を誘導できるかどうかよりも、誘導できているかのような見かけを維持していることが重要であり、そのプロセスをどのように彩るかと言えば、名刺を下から差し出したり、ビールの瓶を上に向けたり、AIの占い結果をスライドショーしたりするわけで、結局のところこの場合、AIとはお歳暮のようなものの代替に過ぎない。いや、代替するのではなく、お歳暮はお歳暮で必要とされる。単なる足切り条件が増えるだけと言える(コンサルや、マネジメント労働においても、似たような現象が起きるだろう。金融は‥詳しくないからよくわからん。誰か教えてw)。

では、消費者としてみたときに、何が起きるだろうか? 相変わらず布団クリーナーを買った人に布団クリーナーを勧めるような精度でしかないAIによって、人々がマインドコントロールされることはない。ただし、人間が作ったカテゴリーが自然によって作られたカテゴリーであるかのようにAIがエビデンスを用意するという事態は考えられる。当たり前だが、AIはオイディプス的に機能する。

とは言っても、所詮今まで起きていた現象に、新たに大義名分を与えるような効果しかなく、結局それも足切り条件の追加に過ぎない。

あと、それ以外にはマイナスイオンやプラズマクラスターのような役割もAIは果たしているわけだが、それはまぁ近いうちに過ぎ去るブームだろうか(AIが何もできないことに人々が気づき始めた頃にChatGPTによって延命処置は行われたが、ブームが去るのは時間の問題である。ChatGPTは流行りのおもちゃに過ぎず、ハンドスピナーと同じ運命を辿るはずだ)。

ではAI脅威論はなぜ語られるのか? ある意味でAIは脅威である。エクセルとパワーポイントが僕たちの労働時間を増やすことにしか役立たなかったように、AIも僕たちの労働時間を増やすことにしか役立たない。

現代はピンハネがスマートピンハネだからこそAIが仕事を奪う論は語られる。500年前に奴隷主や荘園領主の仕事が自動化するテクノロジーが発明されたとして、それで農民たちが「失業する!」とあたふたするようなことはなかった。

農民たちの階級は下に見られていたが、必要ないなんて誰も思っていなかった。単なる役割分担だった。しかし今は、掃除のおばちゃんや植木屋のおっちゃん、ベトナム人技能実習生はまるで必要ないかのように扱われる。これが現代という時代における身分制(もちろんここでは身分制ではないことを装うことが究極の身分制になるという逆説が働いている)の特殊性である。奴隷は存在しないものとして眼中から消えてしまったのだ。

つまりAI脅威論は、被搾取階級をさらに見えなくし、さらに搾取を正当化し、加速させるという意味での脅威である。AIが仕事を減らすようなことは起こり得ない。算盤を弾いたり、他人の文章をコピペしたりすることで金を稼ぐことができたのは、それが儀礼だからである。儀礼は生産ではない。「自動名刺交換機」が僕たちの労働を効率化しないのと同じである。

落合陽一の語る言葉は、この方向性から大きく逸れた物ではない。彼はAI脅威論的なシンギュラリティ論を語り、デジタルネイチャーを語る。デジタルネイチャーとは、軍事パレードのようなもので、「ほら、すごいでしょ!」とドヤりながら税金を搾り取る口実となっていく。花火を打ち上げる代わりに、プロジェクションマッピングを使うだけの話である。

ただしAI脅威論者は、自分の話している内容を信じているという点が厄介である。搾取の正当化であることを指摘したところで「くっ、バレたか‥」と罪悪感を味わわせることはできず、「は?何言ってんねんこいつ」と思わせることしかできない。

とはいえ僕はそんなに間違ったことを言っていないと思うのだけれど、どうなのだろうか? 間違ってたら誰か教えてほしい。

ぶっちゃけると、僕はAIについて、本当はよくわかっていないのである。もっというとデータサイエンスや統計とAIの違いがよくわかっていないのである(両者は同じだと思っているのだけど、違うの?)。ディープラーニングも結局のところ統計手法の1つに過ぎず、「ソロバンを洗濯機でぐるぐる回して当てずっぽうで絵を描いたらなんか似てなかったから、似るまで回した」くらいのものとしか思っていないのである。

パワーポイントを飾り立てる頭脳労働に正当性を与えるプロパガンダが成功した結果、頭脳労働があらゆる富を生み出しているという錯覚が蔓延している今だからこそ、AIが頭脳労働さえ代替すれば、あらゆる富が自動で生み出されるという誤解が蔓延する。実際、テレビの裏側に溜まって埃を取ることや、排水溝にパイプユニッシュを流す前に一度歯ブラシで擦ることや、壁面にビスを打ち込んでいくこと、フォークリフトでボロボロに破れた木製パレットを掬い上げることは、身体全体による情報のインプットと身体全体による物理的干渉というアウトプットが同時に起きるサイバネティクスな(使い方あってる?)プロセスである。人間の仕事は大抵、そういうプロセスである。AIはせいぜいデジタルデータ化できる情報だけを受け取り、物理的にアウトプットするにはロボットに接続されればならない。情報のやり取りの同時性もない。今のところ、自動で掃除機に溜まったゴミを捨ててくれるロボットは存在しない。

こういう当たり前のことをさらに見えなくするのが、AI脅威論なのだ。

以上、文系が語るAI脅威論脅威論である。語るのは楽しいね。ほんと。


Q. AI脅威論脅威論というタイトルで小論を書きたいのだけれど、概略を考えて。

AI脅威論は、人工知能が人間と同じような知能を持ち、人間を超える能力を持つようになることによって、人間社会や経済に深刻な影響を与える可能性があるという主張です。

これは、AIが仕事を奪い、高度な知的職業や産業が消滅することで失業率が増加し、社会的不平等が深刻化することや、AIによるセキュリティ上の懸念、個人情報の悪用、犯罪活動の支援など、さまざまな懸念が取りざたされています。

ただ、AIはまだ開発途上中であり、人間と同じように倫理や判断能力を持つことはできません。特に、AIの判断を決定するアルゴリズムは、人間が作成したものであり、それ自体に人間のバイアスや偏見が含まれるため、偏った判断をすることがあると指摘されています。

そのため、AIを扱うには特に注意が必要であり、AIが人間社会に与える影響を適切に評価し、必要な対策を講じることが求められています。

ChatGPT

あー、だめだこいつ。使いもんにならんわ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!