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なぜ「大丈夫」は大丈夫ではないのか?

なぜ「大丈夫じゃないから助けてほしい」と言えないのか? 「手伝うよ?」と言ったときに「大丈夫だよ」と言うのか? そこが僕は問題の本質だと思っている。

女性に限らず男性も、わがままを言ったり、誰かを頼ったりすることは、「可能な限り避けるべきこと」だという風潮がある。そのくせ相手に対しては「空気を読むべきだ」「察して助けるべきだ」という道徳を押し付けたりする(夫は妻が大丈夫と言っても手伝うべきとか、男性は何も言われなくても女性の荷物を持つべきとかそういうやつだ)。はっきり言って捻くれた道徳観だと言わざるを得ない。

わがままなやつだと思われたくないという気持ちはわかる。しかし、それならば本来「誰も助けてくれない」という状況を受け入れなければならない。もし「助けてほしい」と思うならば「わがままなやつ」という評判が立つリスクを覚悟の上で、声をあげる必要がある。本来ならばね。

ただ、この捻くれた道徳観が蔓延しているいま、声を上げづらいのはわかる。だが、「助けてくれ」と声を上げた時に「わがまま」だと本当に思われるだろうか?

そりゃあ、あまりにも厚かましい奴にはうんざりするものの、別にちょっとやそっとのわがままなら、ほとんどの場合は受け入れてくれると思うのだ。例えば、「あかん! ヒールしんどいから荷物持ってくれへん?」とか「今日しんどいから飯抜き!」とか「さみしいから毎日ラインしてや!」とか、そういうことを言えばいいわけだ。頼ってくれれば、やっぱり嬉しいものだと思う。

もちろん勇気を出して言っても「嫌や」と言われることもある。それでも、凹む必要はない。別に断られたからといって嫌われているわけではない。相手にも色々と事情はあるのだし。

「空気を読む」という文化をまるっきり否定するわけではないが、あまりにも行きすぎると、捻くれた道徳観がコミュニケーションを複雑にしてしまう。本音をあっけらかんに話して生きている方がストレスはない。

そもそも、迷惑をかけてはいけないという道徳が、よくないね。もっというと、教育が悪いね。生きていればどうせ迷惑かけるのだし、もっと迷惑を掛け合って、本音で話し合って、議論しあって、適当に生きていけばいいのだ。道徳なんて捨ててしまえ。

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