育児における様々な宗教戦争

完全母乳にこだわるべきか。それがプレッシャーになるのならミルクも活用すべきか。

泣いたときは直ちに対応すべきか。多少は放置して自律を促すべきか。

入浴時に洗剤を使うべきか。お湯だけで洗うべきか。

様々な対立構造があり、夫婦間で意見が一致することもあれば、異なることもある。何が正解かわからない。仮に正解が科学的に証明されたとしても、自分の信念と異なる科学的事実を受け入れるのは難しいため、意見の相違がなくなることはないだろう。

しかし、大抵の場合は家庭内のCEOである妻の意見が尊重されることになるはずだ。僕の場合も例外ではない。

ちなみに僕の意見はこうだ。

まず母乳orミルク問題。

母乳の免疫力を高める効果は、生後数日の間にほとんど機能を果たしてしまうと聞くので、初めの1週間程度は無理してでも母乳にこだわった方がいいが、その後は完全ミルクでも問題ないと思っている。費用と、妻の精神衛生を天秤にかければ、後者を選ぶ。そもそも母乳信仰が、母乳の出ない母親を追い詰めているので、今すぐやめるべきだ。ミルクの宣伝文句は、その傾向を助長している。どこのメーカーを見ても「大切な赤ちゃんのために、母乳に近づけました」だ。あたかも、完全母乳ではない母親は、赤ちゃんのためを考えていないかのようではないか。なぜ、ミルクメーカーがミルクを活用することを後ろめたいことであるような印象を払拭しようとしないのか。母親の心のゆとりのためにミルクを活用することや、生後しばらくたった後のミルクにはデメリットが少ないことをアピールしようとしないのか。

泣いたとき問題。

どちらかというと放置派だ。といっても全く世話を焼かないのではなく、「この世界は安全だ」という十分な心理的安全性を確保できれば、(といっても、どのタイミングでそれが確保できるのかはわからないが)バランスとして放置寄りでいいのではと考えている。これは赤ちゃんの自律という意味に加えて、親のゆとりのことも考慮した結果だ。

洗剤問題。

これは、非使用派だ。そもそも僕は人類に体洗い用の洗剤は必要ないと思っている。生命力の強い赤ちゃんなら尚更だ。肌荒れやアトピーがあるなら別だが、保湿剤もいらない。そもそも体が持っているバリアを落として、人工的なクリームを塗るなんて狂気の沙汰だと感じる。人体や自然のメカニズムを単純化し支配しようとする、いかにもデカルト的発想は、直感的に正しさを感じやすいし、仕方ないとは思っているが、そのデカルト的正しさ(らしさ)に資本主義が注目して、生み出された架空のニーズに多くの母親が踊らされているのだろう。そういう意味では「赤ちゃんの肌は繊細」というキャッチフレーズは、本当に罪だ。「なにか対処しなければ」という不安を駆り立ててくる。洗剤メーカーの人間には、江戸時代の人々はみんな肌がさがさでアトピー持ちだったのかと、問いただしたい。

‥といっても、僕のこれらの考え方は、妻に100パーセント共有しているわけではない。(デカルト的正しさなんて話をすれば、ロジカルハラスメントだと言われて話が終わってしまう。)もちろん、妻と意見が合わない部分も多々ある。だから、基本的には宗教戦争が起きないよう、僕の主義主張は小さなゲットーにこもっているのだ。

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