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資本主義が生み出した文学を愛する

資本主義がなければ、マルクスは『資本論』を書かなかったし、資本主義を批判する天文学的な数の書物も存在しなかった。

つまり僕の本棚を埋め尽くす書物の半数は、消えてなくなる。たぶん、資本主義が加速した社会を描いた『サイバーパンク2077』や『ブレードランナー』といった作品も存在し得ない。

なんやかんやと資本主義を批判しがちな僕たちは、批判そのものを楽しんでいる。これは部落解放運動が部落差別を渇望するのと同じ現象であって、別に新しい発見でもなんでもない。

それでも次のように考えずにはいられない。もし僕たちの社会が資本主義的な社会でなかったなら、有り余る創作意欲はどこに向けられていたのだろうか?

もしかしたら、人間の心の問題をもっと突き詰めていったり、自然のことをもっと考えたり、それはそれで興味深い形の創作物が誕生していたのかもしれない。

それでもやっぱり、なんやかんや『資本論』が存在する今の社会が好きだったりする。資本主義の中で、アナーキーに暮らす僕たちの矛盾を愛さずにはいられない。

資本主義がなんなのか、それはよくわからない。唯一の黒幕を持たない、流動し、つながり合い、進化していくダイナミックなシステムだ。だからこそ、破壊されることはなく、自滅を待つしかない。

『サイバーパンク2077』は、システム中でシステムのロジックに抗うアンダーグラウンドな生き方を提示するものであり、本質的に革命的なものではなかった。運命に従順な僕たちは、運命に従順なシーシュポスのような人や、運命に敗北した革命家を美談として、本質的に革命的な人に魅力を感じない。

だから僕たちは資本主義という影に対して、永遠のシャドーボクシングを続けるのだ。結局、そこそこ楽しい。

そして抑圧された欲望機械は、文学という分裂症じみた行為に照準をずらして、それ自体が資本主義のコードに登録される。シャドーボクシングそのものも、資本主義から逃れられない。

つらいね。けどまぁいっか。飯食うわ。

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