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世の母親ってどんだけ働いてるんだろうか?【雑記】

自分で言うのもなんだが、僕はかなり家事育児に参加している部類の男である。朝、5時ごろに起きて自分の仕事をして、7時ごろには娘と息子が起きる。娘を着替えさせオムツをかえ、朝食を与え、ミルクをやる。同時進行で息子の朝食を用意し、幼稚園の制服に着替えさせ、荷物をチェックし、送迎バスまで送る(妻が送る場合もある)。そして、ゴミの日はゴミを出すし、夜中のうちに洗濯機を回していたら洗濯物を畳むし、食器は片付ける。

朝は僕の負担が大きいように思えるが、妻には夜泣き対応を一任しているので、特段不満はない。それに洗濯物やゴミはなんやかんやでお互いにカバーし合っている上に、午後の送り迎えや、昼食、幼稚園関係の準備や、検診関係、こども広場などに娘を連れていくことや、幼稚園友達との付き合いはほぼ任せっぱなしだ(いまは僕はこの時間で出版の準備をしている)。夕食の準備は半々ってところだが、娘の離乳食の管理や、誕生日、節句の準備などもほぼ丸投げしていて僕はなんとなくしか把握していない。

さて、この状況に二人ともさほど負担を感じているわけではないが、それでも余裕があるとも感じない。なんとかやりくりしている、といった具合である。

だが、これをすべて1人でやるとなれば、とてもじゃないができる気がしない。

今どきまったく家事も育児もやらない男は少ないとは思うが、まったくやらない男もゼロではあるまい。そして、その家庭が2人の子どもを抱え、妻の方はパートに出て家計を助けている場合もさほど珍しくはあるまい(実際、僕が育ったのはそういう家庭だった)。

そんな家庭の惨状は想像したくもない。それこそ分刻みのスケジュールを求められ、一息つける時間なんてほとんどないだろう。

それでいて夫が帰宅しては「おかずこれだけ?」と言ってきたり、「俺は稼いできてやってるんだ」という態度を示してきたり、好き放題飲み歩いていたりするなら、僕ならキレるだろう。

そして夫の仕事は実際、ダラダラと喫煙室でタバコを吸っていたり、部下の資料にケチをつけたり、無意味な会議で腕組みして踏ん反り返っているだけだったりするのを想像して、余計に腹が立つのだろう。

こんなことを考えていると「女性活躍」という言葉の馬鹿馬鹿しさを思い知らされる。こんな極端な状況は珍しいかも知れないが、これに近い状況なら日本中に観察できるだろう。それでいて朝から晩までバタバタと家事や育児に取り組む女性は活躍していないとみなされ、ブルシット・ジョブに取り組む男性は活躍しているとみなされる(そうでなければ「女性活躍」などという言葉を発する必要がないのだから)。

僕は常々、変えるべきなのは女性を「活躍していない」とみなす価値基準の方だと指摘してきた。つまり金と実力主義の神話の方である。金を稼いでいるから活躍しているわけではない。世の中は金にならない活躍によって支えられている。「女性活躍」はそれを見落とした言葉なのだ。

とはいえ、女性たちはその状況を受け入れているように見える。当然である。デモ行進を繰り広げる時間があるなら、洗濯物を干さなければならないのだから。

だからせめて概念上だけでも世の中のイカれ具合を指摘しなければならない。それが僕のやるべきことだ。これって相当世の中の役に立つ営みだと思うんだけど、だからといって受け入れてもらえるかは別の話なのである。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!