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大谷翔平より働く母親たち【雑記】

子どもがおもちゃでキャッキャと遊ぶのを眺めながら、木漏れ日の下でゆっくりコーヒーを飲みながらヘミングウェイを読む‥

子どもが生まれる前、僕が想像していた育休とはこのような日々であった。このイメージがガラガラと音を立てて崩れ去ってから数年がたつ。

子ども向けのおもちゃは数日もすれば遊び飽きて見向きもされず、そこらじゅうにあるティッシュをちぎったり、食べかすを拾って食べたり、転がって頭を打って泣いていたり、「構え構えと」やってきてはコーヒーをひっくり返そうとしたり、文庫本の表紙をちぎったり。運が良ければ1~2時間昼寝をしてくれるが、一歩間違えれば数分で目覚める(恐る恐る本を開いた日に限って、すぐに起きる)。そんな慌ただしい日々の中、どうやってヘミングウェイを読めばいいのだろうか?

まとまった孤独がないとストレスを感じることは、多くの人が同意すると思う。しかし、まとまった孤独を確保できないとき、人はどうするのか?

僕の場合、「ちょくちょくスマホを触る」という行動に救いを求めてしまうらしい。本を読むほどに自分の時間を確保することはできない。なら、せめて数分の間でもネット記事を眺めたり、動画を見たりしたい。そんな救いを求めて、僕はついついスマホを触ってしまう。

子どもが生まれる前はスマホ断ちをしたこともあった。1日に1回だけスマホを確認するだけで、他の時間はずっと通知を切って、ラインすら見ない。電話すら受けないという生き方をしていた。それが今や、数分に一回、スマホをいじいじする日々である。

わかっている。子どもにフルコミットして、子どもと過ごす時間を大切にすることが、親としても務めであることは。しかし、理想と現実は違う。僕とて親としての務めを果たすことにモチベーションを感じないわけではない。しかし、24時間務め続けられるかと聞かれれば、それはまた別の話だろう。大谷翔平だって24時間野球をやっているわけでもあるまい。

なら、ある意味で世の母親たちは、大谷翔平を超えているのかもしれない。僕は育休中だろうがことあるごとに育児を抜け出して、好きなことをやっていたが、母親の方はほぼずっと育児に専念していた(もちろん僕は遊びに行ってくれていいと口すっぱく言っていたが、妻はあまり行かないのだ。その結果、僕は後ろめたい気持ちで、遊びに行っていた)。

これはなかなか偉業だと思う。現代の核家族における育児は、おそらく歴史的にも特殊だろう。子ども1人育てるには村1つが必要という格言は、おそらくその通りで、昔の人たちはみんなでかわるがわる育てていたはずだ。24時間ぶっ通しで育児する母親なんていなかったに違いない。

そのせいかもしれないが、電車で見かける子連れの母親は、子どもをほったらかしでスマホを見ている人が多い気がする。昔は「子どもを放置してインスタですか…まったく、こういう母親がパチンコ屋の駐車場に子どもを放置するのだろう…」なんて思っていたこともあったが、今なら気持ちがわかる。

なにが悪いのかといえば、子育てが核家族の中に閉じ込められたことだろう。子育てはみんなでやればみんなが楽しい。1人でやれば楽しいけど苦しい。どうにかしないとね。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!