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世界は情熱大陸でできている

僕はグローバルサウスからの搾取の結晶をコンテナに詰めてできあがった大量消費社会に対してネガティブな感情を抱いているタイプの人間だ。

それがひょんなことからフォークリフト講習を受けることになり、まさしくいまこの文章を、講習をお昼休みに書いている。

フォークリフトは紛れもなくコンテナリゼーションとグローバリゼーションを支える機械の一つだ。愛憎入り乱れた複雑な感情を抱きながらも、僕は真面目な受講生として、講師の話を聞いている。

この講習はなんと言っても待ち時間が長い。6人で1台のフォークリフトを使いコーズを回る。ぶつけたり、ハンドル操作を誤れば時間もかかる。

だから僕は、リフトを操作するよりも長い時間、講師や受講生と雑談している。リフトの操作について話をしたり、それ以外の話をしたり。

なにより興味深いのは、講師の話だ。どうやら彼らも初めから講師だったわけではなく、会社員としてフォークリフトを乗り回す中で評判を立てて「講師をしないか?」という声がかかった結果、本業と両立しながら講師をしているらしい。

業界内でそれだけの評判が立つほどの人物が講師なのだ。単に1日8時間、仕事終わりにNetflixを観ることだけを楽しみに、適当に仕事しながら時間を潰すような人物ではない。業界内で誰も手が出せないような、間違っても傷つけられない一点物の品を扱うような難易度の高い仕事でも、「あの人ならやってくれるよ」と期待をかけられ、その期待に応えてきたのだという。

もし僕が情熱大陸のプロデューサーなら、間違いなく取材を申し込むような、仕事哲学を持っている。

僕が着ている服も、住んでいる家の部品も、食べ物も、その大部分が港を通過している。コンテナを運んだり、コンテナの中身をさらに運んだりするのは、フォークリフトだ。荷物をひっくり返せば、必ず多くの人が困る。物が足りなくなる。予定通りに家が建たない。物価があがる。それだけの責任感のある仕事であることを教えてもらった。スピードが必要な仕事、慎重さが必要な仕事。物によって仕事への向き合い方も変わる。当たり前だが、事故があってはならない。人の安全を守るために、かつ人々の暮らしを成り立たせるために、リフトマンは「馬鹿ではできない」と彼らは言う。

もちろん、今の社会はグローバルサウスからの搾取によって成り立っていることは恐らく間違っていない。それでも、僕たち日本人の暮らしが、そのシステムによって成り立っていることは事実だ。僕は、地産地消で、大量消費社会(というより大量廃棄社会)ではない別のシステムもあり得ると思うし、そうなって欲しいと願っているものの、それでも今のシステムを支える彼らのような人々の偉大さは少しも傷つけられない。彼らの仕事は紛れもなく誇り高いものだ。

僕は誰かを批判しようという気持ちは毛頭ない(たまにあるがw)。人ではなくシステムに問題があると思っている。

だから、別にフォークリフトは憎まない。コンテナも憎まない。きっとこれからの社会にも、なんらかの形で必要なはずだ。

あと、なんだかんだ言って、僕は港の雰囲気が好きだったりする。巨大なクレーンや、エンジンを吹かしながら走り回るトラック、リフト。巨大な迷路のように積み上げられたコンテナ。まるでディスコ・エリジウムの世界に来たようなワクワク感を抱いてしまう。

どんなものにでも感情移入してしまう、人間は非合理な生き物だとつくづく思う。だからこそ、仕事にも誇りが持てるのだろう(リフトマンもそうだし、タイヤ彫り師もそうだね)。

悪者はどこにもいない。油ぎったオッサンの忖度も、目の前のオッサンへの優しさなのだ。どこかに悪者がいてくれれば、楽なんだけどね。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!