難しいことを簡単に説明することはできない

「本当に賢い人は、馬鹿にでもわかるように説明する」

あたかも本質を突いているようなフリをする常套句は、やけに説得力があるけれども、本当かどうかはわからない。僕は「そんなことない」と思っている。

確かに、簡単なことを難しく言えば馬鹿には伝わらず、簡単なことを簡単に言うと馬鹿にも伝わる。そういう意味ではこの常套句は正しい。

では、難しいことを簡単に言えばどうか? なんらかの知識は馬鹿には伝わるかもしれないが、それは正確な理解ではない。馬鹿が脳内に描く世界の中で理解できる形に歪められた知識として伝わる。

難しいものを、できるだけその素材の味付けを失わせずに、近似値的な知識を伝えるためには、難しいまま話さなければならない。だから『資本論』はあんなに長いわけだ。

もちろん、マルクスも100点満点の説明上手ではないと思う。もう少し簡単に表現する方法もあったかもしれない。それでも、せいぜい半分の分量に減らすくらいで、決して1時間で読めるビジネス書の形で表現することはできないはずだ。

人は、自分が読んだことのない本のことを空虚な机上論が並べ立てられるゴミだと判断しがちだし、自分が触れたことのない考え方を採用する人のことを気狂いだと判断しがちだ。本を書くのに膨大なページ数を費やしたマルクスも、単に頭が悪かったために長々とどうでもいいことを書き連ねていると考えられる。自分ならば、せいぜい2、3言で、全てを表現できるし、全てを論破できると思ってしまう。

そんなことないと、『死に至る病』を読みながら感じるこの頃。自分には難しくて理解できない知識が存在していることを、本を読めば読むほど痛感させられる。それは取るに足らないものではなく重要なものであって、ただ自分の限界を思い知らされる。

『死に至る病』は、要約サイトや入門書を読んだことがあった。その時は全てが理解できたと思っていた。原書にあたれば、わからないことがどんどん増えていく。

量子力学に限らずあらゆる知識には、理解したと思っているならそれは理解していない証拠だ、というあの名言が当てはまるのかもしれない。

知ったかぶりでできた世界よ、さようなら。こんにちは、未知。

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