アンチワーク哲学は「哲学」か?【アンチワーク哲学】
哲学であると僕は考える。だから哲学を名乗っている。
その根拠を述べるためには僕が「哲学」がなんであると考えているかを説明しなければならない。
ドゥルーズ=ガタリは哲学を「概念を形成したり、考案したり、製作したりする技術」だと書いた(『哲学とは何か』より)。僕は微妙に異なった定義を採用していて「概念を解体してから、操作したり、接続したり、生み出したりする技術」と考えている。
哲学の最も重要な仕事は、僕は概念の解体であると考えている。ここで言う概念とは、正確に言えば「常識」みたいなものである。そしてより正確に言うならば「常識」なるものはまだその存在すら意識されていない。哲学者が解体するときはじめて、常識の存在が明らかになるのだ。
たとえばヴィトゲンシュタインは、「言語は定義されてから使用されている」という常識を解体し「言語は使用が先にあって定義はあとからやってくる」という概念を提示した(僕による超意訳なので哲学オタクの皆さんは大目に見てね)。しかし、そもそも「言語は定義されてから使用されている」ということは指摘されて初めてそうした常識が存在することを認識しているのであり、「うーむ、言語とは定義と使用どちらが先にあるのだろう? きっと定義にちがいない!」などと日常的に考えている人はいないのである。意識して考えたことがあるわけでもないが、言われてみればそう前提していると気づく。哲学が解体すべき概念(常識)とは、そういうものなのである。
では、アンチワーク哲学はどのような概念を解体しているのか? まず明らかに「労働」である。
「労働とはなにか?」は決してこれまで問われていないわけではなかった。が、日常的にそれを問う人は稀であった。誰しも労働を漠然と「金を稼ぐための活動」や「価値を生み出す活動」「生きるためにやらなければならないもの」といった概念の集合体としてとらえている。アンチワーク哲学では、そこを解体した。そして、労働を労働たらしめているのは「強制」であることを論証しようとした。このプロセス自体は、僕の専売特許ではなく、いくらかの先人(ボブ・ブラックや鷲田清一)が似た仕事を成し遂げてきた。
ついで僕は「欲望」や「怠惰」「金」を解体していった。人間が食を欲望し、食を与えることを欲望しないという前提(言い換えれば人は怠惰であるどういう前提)は、金と支配によって生み出され、金と支配を強化しているという説明を提供した。そして欲望は行為により世界に変化を起こすことに向けられており、人生とはその能力の拡大プロセスであるという概念を提示した。その結果、他者への貢献と貢献を受けることの境界を解体し、あらゆる行為を欲望の追求として定義し直した。
・アンチワーク哲学は思想ではないのか?
それを説明するには哲学と思想はなにが違うのかを説明しなければならない。哲学の手続きは疑問からスタートし論証作業を行なったのちに、信念を打ち立てる。一方で思想は無根拠の信念からスタートする。信念は論理によって補強されるが、スタート段階に違いがある。アンチワーク哲学は思想の側面も持ち合わせているが、哲学の要素の方が強い。
・アンチワーク哲学は経済学や社会学ではないのか?
哲学とは名詞というよりは動詞である。ゆえに経済について哲学的手続きを適用することや、社会に対して哲学的手続きを適用することもあり得る(物理学に哲学的手続きを用いたのがアインシュタインやマッハなわけで、ある意味で彼らも哲学者である)。そもそも哲学の考察範囲は時代によって変化していて、ギリシアの哲学者の考えたことの大半はは化学や物理学の領域であり、最近の哲学者は資本主義の批判ばかり考している。哲学的手続きをなにに向けようが自由なのだ。
・世間一般にいう哲学とはなにか?
もしアンチワーク哲学は哲学ではないと主張する人がいるなら、彼に哲学を定義を問い返してみてもまともな返答が得られない可能性が高い。おそらく多くの人にとって哲学という概念は哲学されたことがなく、明確に意識されてはいない。その意味するところを紐解いていけば「哲学科で哲学を勉強した人が書く文章」以上のなにものでもないはずだ。つまり千葉雅也がなにを書こうがそれは哲学として認められるが、ハイデガー研究で博士号を取得していないホモ・ネーモなる人物がなにを書こうがそれは哲学ではない、というわけだ。
その結果、哲学科を卒業した人しか哲学者を名乗らなくなった。正統な知的トレーニングの価値は認めよう。それでも、非正統な知的トレーニングが認められない理由にはならないし、そういう権威主義はつまらないことは明らかである。
・まとめ
そんなこんなでアンチワーク哲学は「哲学」を名乗っている。ぶっちゃけるとここに書いた説明は後付けであってはじめは思いつきで名乗ったのだが、いまでは根拠なく名乗っているわけではないのだ。
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