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政治家が料亭ではなく立ち飲み屋で酒を飲むべき理由

核兵器のない世界とか言いながら防衛費増額、そんなニュース番組がやっていた。

この2つのトピックが連続して放送されるのは、どうもジョージ・オーウェル流のダブルシンクを求められている感じがして、ディストピアに生きていることを痛感させられる。まぁ僕は防衛費0円になっても別に良いと思っているし、どうせおっさんの土手っ腹に消えていく税金なら、アメリカ君へのみかじめ料に消えていこうが構わんよ。好きにしてくれ。

核兵器のない世界をどうすれば実現できるか。そういえば詩人の石垣りんが教えてくれていたんだった。

戦闘開始

二つの国から飛び立った飛行機は
同時刻に敵国上へ原子爆弾を落としました。

二つの国は壊滅しました

生き残った者は世界中に
二機の乗組員だけになりました

彼らがどんなにかなしく
またむつまじく暮らしたか-

それは、ひょっとすると
新しい神話になるかも知れません。
石垣りん『原子童話』

原子爆弾を落として世界を滅ぼした乗組員も、結局のところ人間でしかない。その2人が出会えば、握手して、酒を酌み交わすのが普通なのだ。

政治家の迷走っていうのは、結局のところ目の前のおっさんへの優しさの結果だ。あの人の意見も尊重しなければならないし、あの人の顔も立てなければならない。あの人の業界のことも考えなければ‥ええい、防衛費アップだ! 政治家ってそんな仕事なんだろうと思う。

土手っ腹のおっさん同士だが、そこにはしがらみに塗れた愛があるのだ。僕たちが甥っ子にあげるお年玉の額に苦心したり、友達への手土産に悩んだり、先輩を酒の席に誘うのに苦労したり、そういう営みと何ら変わりはない。

目の前の人に優しくしないことは難しい。電車の中なら妊婦に席を譲らない人はいるけれど、それは全く関わりのない他人として接しているからだ。それでも、多少は良心が疼く。妊婦に席を譲らないまま、妊婦と世間話に突入できる人は存在しない。

人間は善にもなるし、悪にもなる。しかし、目の前の人に対して悪として振る舞うには、何らかの強制力や大義名分が必要だ。ルドガー・ブレグマンが言っていたけれどミルグラム実験も実際はヤラセで、あれが成立したのも「人間は邪悪であるという結論を引き出したい学者への忖度」だったわけだ。

人間みたいに弱々しい生き物は、きっと他人への優しさを本能的に求めるのだと思う。クロポトキンの『相互扶助論』には、そんなことが書いてあったっけ。利己的な遺伝子とかなんとか、ああいう厨二病理論が幅を効かせているけれど、僕はドーキンスよりもクロポトキンの方が正しいと思ってしまう。

そう考えたときに政治家が何をすべきかが見えてくる。料亭で金持ちと酒を飲むのではなくて、立ち飲み屋でおっさんと酒を飲めばいい。あるいは平日昼間のガストに行って子育て中の主婦と駄弁ったり、高校生と共に公園で時間を潰せばいい。金持ちのおっさんに優しくできるなら、ホームレスやシングルマザー、高校生にも優しくできる。ただ、彼らが他人だから、優しくできないだけなのだ。

もちろん、八方美人は辛い。どこかで何かを切り捨てる必要もある。だが、それでも何も知らないよりはマシな選択ができると思う。

人間ってややこしい。でも、優しくて、いい。

そんな存在なのだから、なんとかなる。とにかく、立ち飲み屋に行け。政治家たちよ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!