日本人の3分の2が、日本語を読める

この手の記事を読みすぎて、最近僕は日本人が日本語を読めない前提で生きてきた。

ヒトラーも言っているわけだしね。

人を説得しうるのは、書かれたことばによるよりも、話されたことばによるものであり、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な文筆家にでなく、偉大な演説家にその進展のおかげをこうむっている。
アドルフ・ヒトラー『我が闘争』

文字なんかよりも、話した方が手っ取り早い。それは間違いない。

だから最近は(noteは別として)他のところでは(僕は求人広告を書く仕事をしている)できるだけ短文を心がけてきたのだ。しかし、どうにも短文にすればするほど一層読まれていないような感覚があった。

そこで、方針を切り替えてみた。練りに練った長文を乱発してみることにしたのだ。その結果、反響が増えた。

改めて考えれば、悲観的になりすぎていたのかもしれない。3分の1が読めないということは、3分の2が読めるのだ。過半数だ。

これってすごいことじゃないだろうか?

なるほど、「読める人」と「読めない人」が、明確に線引きできるわけではない。誰しも読み間違いはあるし、見出しだけ見て早ガッテンすることもあるし、利用規約みたいな文章に目を通すことはほとんどない。

だが、読めないシチュエーションには共通点がある。「読む気にならないとき」だ。

そこで一旦、「読む気があれば、そこそこ読める」という人が3分の2を締めていると考えよう。

逆に3分の1は「読む気があっても、読めない」なのか「そもそも長文を見た時点で読む気にならない」ということだと思う。一旦、ここの層は諦めよう。

インターネットでアクセスされる文章とはそもそも読む気があるから読みにくるものだから、ちゃんと練られた文章なら3分の2の人には長文も読まれる。ならばキャッチーでもなんでもない安っぽいキャッチコピーを乱発して読者をうんざりさせるより、きっちり論理的に文章を仕上げた方がいい。

短文の乱発は単純に人を馬鹿にしている。人を馬鹿にした短文は、それすら読まれなくなる。だから「読まれない」という事態が発生する。

まずは、きっちり興味を持たせる見出しをつけよう。そして、論理的で余計な説明を省いたスマートな長文を繋げていく。

そうすれば3分の2の人はちゃんと読んでくれる。文章にはまだ力があるようだ。ちょっと希望が湧いてきたね。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!